日報

もしくは遺書

10/29(月)晴れ 努力教信者

何故か昨日から白くなっている。でも、昼頃からひょうきんな態度を取れるくらいの余裕が出た。昨日の夜は、「無理になってきた時に聴くプレイリスト」をシャッフルで再生しながら、「無理になってきてる人のアカウント」を集めた非公開リストをただ無心に眺めたりした。

オーナーの差別的な発言に苛つく。以前人づてに聞いたことのあるホームレスについての発言を、昨日直接聞かされてしまって、ムカつくなぁと思いながらも何も言えず、それを今日まで引きずっている。実際は何も言えない臆病者のくせにめちゃくちゃ喧嘩する妄想をしてしまう。オーナーと政治的な理由で喧嘩したい、あなたにはわからないでしょうね!!!などと怒鳴り、そのまま辞めたい。あなたみたいな考えの人がいるから格差がなくならないんですよ!!!とか言って。
鼓動さえ普通の速度を保ってくれればそれが出来る。いざ人に怒りをぶつけなければならない時、鼓動の速さが2倍になり手足がブルブル震え顔が真っ赤になり場合によっては泣くことになる。そんな状態で言葉なんて出るわけないだろ。冷静に怒れる人羨ましいって思うけど、これはある種無意識に身に付けた処世術のようなもので、結局はこの致命的な弱さによって救われている。弱者として生きることによって、媚びへつらうことによって、破壊的思想で自爆することなく、今日までなんとか社会的に死なずにやってこれた。

気のせいかもしれないけど職場にいる高校生のアワスと柏葉が最近仲良さそうな感じがして、混じりっ気のない気持ちになれそうだった。そういう姿をもっと見せつけてほしいと思った。

タマンが5分くらい消えたと思ったら髪型がオールバックになっていて笑った。

「生ける屍の結末」をかじりつくように読む。
俺は、調子が良いときに調子に乗ることができるだけで、本当の意味で努力したことなど一度もないんじゃないかと考えた。音楽は別に発作的にやってるだけだし、少なくとも努力しましたと誇りを持って人に言えることは何もない。唯一言えることは、今生きていること、存在していること。頑張ってます。でも、こんなにも頑張らないと存在もできないのかよと思って、虚しくなる時も多い。何のために頑張っているのかはっきりしないからだ。
生きてることが好きで自分のことも好きなら、こんな風に虚しくなったりはしないんだろう。

奈緒が、レノン(という名前の海亀のぬいぐるみ)のバッグをつくってくれたのが、最近あった一番良いことだった。
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奈緒との日々を失うことが、何よりも怖いなぁ。
俺は奈緒にさえも怯えているんだよ。

10/26(金) 曇り・晴れ ミユという人の自伝を読んだだけの一日だった

ミユという人の自伝を読んだ。Twitterでたまたま回ってきた。
https://note.mu/michiemiyu/m/m65c055184679

ちょっとした息抜きにというくらいの気でいたのだが、滅多にお目にかかれない異常なほど引き込む文体で、読み始めると止まらなくなってしまった。今日やろうと思っていたことをすべて忘れ、6時間くらいかけてすべてを読んだ。
なんという文章力だろう。いや、こういうのを文章力と読んでいいのかどうかわからないけど、とにかく豊かな表現の機銃乱射だった。
彼女の表現力に、時には吹き出し、時には驚き、涙し、遊園地のアトラクションのように翻弄され、圧倒的な臨場感に手に汗握りながら、大いに盛り上がってしまった。出産のシーンとかヤバかった、俺男なのに、想像できてしまうほど。
そして、なんというか、俺の解釈のしすぎかもしれないんだけど、「人を楽しませなければいけない」という強迫観念に似た本気の思いが伝わってきて、その裏にある心の傷が透けて見えるようだった。
彼女の物語は、アダルトチルドレンの少女が自己を獲得していく物語でもあった。痛みを伴いながら。
もちろん一ヶ所にカテゴライズすることはできない。そこに描かれているのは、普遍的な出会いと別れであり、不条理であり、様々な偏りを持った登場人物たち。常に予測できない未来。人生としか言いようがない。

「あのゴールまでの間に、真っ白にならなくてはならないのだ。」
ミユ氏の生きざまを象徴していると思われる、印象的だったフレーズ。
勘違いだろうと、路頭に迷っていようと、何回挫折しようと、ただそこにある生を愚直なまでに全力で生きた日々、を愚直なまでに全力で書いた文章、だと思った。そして、超人的な努力によって己の限界を突破できたとしても、この世界の仕組みそれ自体に抗うことはできない。生きているということは、これほどまでに切ないことなのか、と思ってある種宗教的な気持ちになった。正直泣いたわ。何一つ思い通りにはならないのだとしても、その燃やし尽くすような命の使い方が、生命の本質を捉えるに至った。良いものを読んだ、と思った。

元々の資質だと思うけどとにかく生命力に溢れてるんだよなぁ、ナスDの動画見たときと同じ感じで元気を分け与えてもらった。
言葉選びのセンスとかめちゃくちゃな表現力も、この生命力の現れなのかなと思う。表現の泉が湧いている。超羨ましい。

俺はこんな読み方をしたけど、他にも色んな読み方ができるというか、そういった余白があると思った。論理的な思考ができる人、誰か評論とか解説書いてくれないかなぁ。ミユ氏が作家活動し始めるのも時間の問題だという気がするので、それを読める日も案外遠くないのかもしれない。

10/25(木)晴れ UFO CLUBでライブでした。中国のプログレジャズバンドと対バンしました。

朝起きて、まずコーヒーを淹れて、それを飲みながら30分間小説を音読する。そのあと10分間瞑想をする。そのあと朝日を浴びながら散歩。これだけで、とりあえず幸せになれる。良い出だしになる。
自分の人生の状況がどうであれ、それを一旦保留して、関係のないところで得られる幸せ。結局はそれが幸福の本質であるのかもしれない。幸福感は神経伝達物質でしかない。とりあえず、こんな習慣を続けられるような生活を送る余裕があるのは、幸運なことだと思う。朝起きた瞬間から寂しさや虚しさや死にたさに苛まれていたら、もしくはそもそも眠れていなかったら、とてもこんなことはやっていられないだろう。

注文した本が明日届く。

急に思い立って色々決めたソロの自主企画のフライヤーを、昼間ずっとつくっていた。Canvaというオンラインでデザインできるサイトを使っている。こういう作業したことないので結構手間取っている。フォントとかが多すぎて難しい。細かいところに異様にこだわってしまって、全然進まず。2時間かけてようやく背景が完成した。できれば明日中に終わらせたいです。

宣伝とか全くしてないし、このブログ誰も読んでいないと思ってたけど、読んでる人がいることが発覚してしまった。だからといって書く内容が変わるわけじゃない、というか書く内容が変わらないように気を付けたい。
引き続き個人名バンバン出しながら思ったことややったことを思い付いた順に無秩序にそのまま書いていくスタイルでいこうと思う。
アクセス数を見てみると他にも定期的に読んでくれている人が3人くらいはいそうな気配がしたので、もしいたとしたらありがとうございますと思った。何の実にもならない内容ばかりで、特に宣伝する目的もないので、自力でこのブログにたどり着いた人だけが通勤時間とかに暇潰しに読めばいいと思っている。

今日は屋根折りのライブだった。
ライブ前に喉を温める目的で一人でカラオケに行った。あまり喉に負担をかけない曲を選んで、過剰なまでに腹から出る空気を意識しながら歌った。誰とも空間を共有していないので、ついsyrup16gとかの暗い歌ばかり選曲してしまった。自分で入れといて、こんな曲ばっかかよと思った。
喉を温めるつもりが心まで温まって、情緒が溢れてきて、戦闘態勢に入ることができたので良かった。歌っていいなー。カラオケ大好き。俺はカラオケでもライブをしていると思う。
結果としても、ほんとのライブ始まった時に、ちょうどよくスタンバイされている感じで、歌い出しから真価を発揮できた気がするので、またやろうと思う。

受け手側に伝わる以前の完全に個人的な部分でしかないけど、ライブとは、自分がどういう態度で生きているか、その意思表明の場だ。そう思ってはりきった。個人的な思いこそが、結局は最も根本的なことで、客が何人いようが、いまいが、態度は一貫してないとだめだよな。

道を歩きながら、安田に、「俺の罪は、本当は痛い人間のくせに痛くない人間のふりをしていたことだと思う。これからは、過去がほぼ痛い記憶で構成されているという類い稀なる特性を活かして、頑張っていこうと思う。」という話をした。

道で坂本慎太郎を見た。高円寺で見かけたのは、一度や二度ではない。

UFOにマヒトゥ・ザ・ピーポーらしき後姿が入っていくところを見たけど、ちょっと目を離した隙にいなくなっていた。忠も見たと言っていたので本当にいたっぽいけど、一瞬で帰った。見ていってほしかったなぁ。

出番は4番手、トリ前。トリの中国から来たというRed Scarfもインストバンドだし、全体的に淡々と演奏自体の世界観を聴かせるタイプのバンドが多くて、屋根折りは演奏下手だし感情的なので少し気後れしたけど、出来ることしか出来ないので、精一杯頑張った。
暴れはしないけど攻撃的に、というコンセプトでやった。いつもなら囁き声のところを、甘くなり過ぎないように、多少強めに発音した。そういう日だと思ったので。たとえば凍る夜の大丈夫の部分にヤケクソ的な感情を込めたりして戦った。少なくとも自分で自分を盛り上げられたという点では成功だった。
前半2曲は歌っていてとてもいい感じだった。上昇気流の渦に乗って、ぐるぐるかき回されながらも、バランスを崩すことなく上手く昇っていけたと思う。最後のマンメイド・サテライトでもっと高く上がらなきゃいけなかったんだけど、急降下して地面に叩きつけられるほどではないが、高度が下がってしまった気がした。最終的に中くらいのライブになった。
前半に関しては、本当に「歌を歌う楽しみ」がダイレクトに感じられて、この感覚を味わうことが出来ただけでも、フリーターでお先真っ暗な中音楽を続けていて、多大なるストレスを抱えながらバンドなどというものを組んでいて、良かったのかなぁという、充足感があった。最悪全く誰にも理解されなかったとしても、これからの人生をできるだけ歌を歌うことに充てようと思えた。

動こうと思って動いてはいけないのだということを考えた。「こういうパフォーマンスをしよう」とあらかじめ頭が考えるのではなく、高揚によって生み出される自然の発露としての身体の動きを、暴走しないように、受け手側にとってより効果的な表現になるような形で、制御する、これが理想。今回は、それをしっかりとやれた気がした。何故なら、汗をかいたから。本当に楽しんで、無意識で動いた時だけ、汗が出る。
「派手な動きをしないと客が退屈するんじゃないか」という謎の強迫観念に襲われて要所々々で無理をしてしまう時が、最近は減ったけどたまにあって、そうなるともうダサいし楽しくもない。冷静に考えれば、そういうことではないということは、すぐにわかる。何よりもまず歌を聴かせなければいけないのだから。演奏が上手くいっていない時こそそうなってしまいがちだ、つい動きに逃げてしまう。カラオケになってしまうのが怖い、「棒立ちで歌う勇気」がなくなってしまうのだ。でも、本当に心を込めて歌えばカラオケになるわけはないよ。その勇気をまずしっかり持たないと、自然な健全な効果的な動きは出せない。ということに、今回ははっきり気付けたと思う。

音の強弱がそれぞれのメンバーでバラバラだということをケンさんに指摘された。バンド全体としての緩急。確かに!!と思った。バンドという形態で活動している以上根本的なことだし、結局はそこがグルーヴに通ずるとこだと思う、そして屋根折りは全員協調性がないので一番難しい部分。
メンバー全員の思い描いているビジョンは多分同じなんだけど、協調性がなく言葉が通じ合わないことで、そこに至るプロセスがずれまくっているというのが現状な気がする。たまにまぐれで息が合った時に、「あぁ、やっぱりそうだったんだ!」という感じで言葉を超えた一体感に気付いて感動することがあるので、これは本当だと思う。次回以降のスタジオでは、全体のまとまりをもっと意識して見ていこう。というか、楽器を持っていない俺が一番そこに気を遣わなきゃいけないんだよな。言うは易しだけど、俺は空気が読めないし人に伝わる言葉を喋れる時が少ないから、本当に辛いんだよ。
ケンさんは、温和だし面白いし、とても話しやすくて、その上的を射たことしか言わないので、かなり好きな人だ。何でも頷いて聞いてくれるので、ついつい余計なことを喋りすぎていないか心配になる。あとケンさんがPAの時はめちゃくちゃステージやりやすい。多分言わなくてもわかってくれていることがとても多い。

Red Scarfの通訳の人にたくさん褒めてもらった。見に来てくれた腐ってもみかんさんも楽しそうにしていたのでよかったと思う。

とにかく、ラストは決め損ねたとはいえ、今日は色々と実りがあったような気がする。ライブ終わった後に落ち込んだり放心したりせずに済んだ。自信がちょっと湧いて多少活発になれた。
さっき個人的な充足感について書いたけど、活動全体を俯瞰してみると、そもそも集客も宣伝も全然上手くいってないのでバンドとしては満足できるわけがない。このところ屋根折りにも自分の不甲斐なさにも絶望していたけど、今の屋根折りの活動の仕方はかなりもったいないんじゃないかという気持ちに久しぶりになったので、泣き言を言いながらも頑張っていこうと思う。
安田にお疲れ煙草一本貰って吸った。肺が痛くなった。

トリのRed Scarfは超かっこよかったぞ。演奏がめちゃくちゃ上手かった、生き生きとしたドラムだった。プログレとフリージャズの中間らへんのわけのわからない領域で、気を抜くとノイズバンドにもなりそうな危うさがあった。中国の長い笛みたいなやつが、違和感なく演奏に溶け込んでいて、面白いものを見た気持ちになった。ラッパ吹きながら唸り声出してたのが迫力あった。プラスチックのパックをくしゃくしゃやって音を出してた場面が可愛かった。
英単語とジェスチャーで話しかけようと思ってたけど、タイミングを逃して話せず。残念。中国のどこから来たのか気になった。

終演が1時間も押して23時頃、精算したりして電車乗って家帰る頃には1時を回っていた。奈緒がシチューのドリアをつくってくれていた。それを食べながら一緒にガンダムを観た。今日アルバイトで奈緒が二人ものクレーマーに怒られた話を聞いて腹が立った。
今日の出来事は是非記録しておきたいと思って帰りの電車で日記を書き始めたけど、全然終わらなくて、せっかく途中まで書いたので翌日に持ち越すことにした。ここまでの文章を書くのにトータルで2時間くらいかかっている。つらい。こんなのそうそういつも書けないよ。本当は寝る前の30分くらいにさっと書くだけの適当な日記にしたいんだけど、書きながらものすごく考え込んだりしてしまって、ほぼ30分で収まる日がない。
ずっと続けたら段取りよくできるようになるかなぁ。

10/23(火) 曇り キズナマン

風邪がつらい。
喉の症状は一日で治ったが、今日は鼻が完全にバグっている。
弱っているせいか、バイトをしながら自分という存在について止めどもなく考え込んだ。うわ言のように次から次へと言葉が湧いてくるので、とりあえずツイッターに書いた。

不意に思い出して、黒子のバスケ脅迫事件の意見陳述を読み返した。
異様に引き込まれる文体で、読み始めると止まらなくなり、最後まで読んだ。キズナマンとか浮遊霊とかいう言葉が頭から離れなくなってしまった。
ほとんど衝動的に「生ける屍の結末 黒子のバスケ脅迫事件の全真相」と「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」をアマゾンでポチった。
多分何年か前に読んだ時より深く考えるきっかけになった気がする。自分やこの国を覆っているものの正体が少しだけ見えた。
というか、自分の中で答えが出ている問いの、答え合わせをしている感じだった。もしくは、なんとか社会生活を送るために目をそむけた事柄を再確認させられた感じ。
独特のセンスかつキャッチーな言葉で丁寧に説明してくれるので、とてもわかりやすかった。
自分は、この人の文章に、少なくとも半分くらいは共感できてしまう。ひょっとしたらもっと多く。
どんなにたくさんの糸を繋いでも、常に視界にあり続ける空虚な穴の正体。
実際あらゆる糸が仮設の糸なような気がしてくる時がある。奈緒と別れて、音楽もやめたら、もう何するかわからない。何か飛躍したことをしそうだ。少なくともそういう性質を持ってるよな。
音楽は俺の中でほとんど唯一の強固な糸だ。より厳密に言えば、神聖かまってちゃんとか大森靖子から始まって、派生したものたち。誰に笑われようと、どう考えても本当にそうなんです。俺をこの世に繋ぎ止めて、安心を与えてくれた。こんな思いは、残念ながら家庭の中からは生まれなかった。
俺は必死で音楽やってるよ。だって頑張れることがこれしかないから。「音楽を頑張っている自分」がいなくなったらと思うと、怖くなる。結果が出ないので焦ってしまう。

今日は屋根折りの練習だった。
マンメイド・サテライトを歌いながら、こんな自分がこの曲を書けたのはほとんど奇跡だと思ってちょっと感動した。
屋根折りは演奏も下手だしとても良い音楽活動をしているとは言い難いけれど、曲だけは本当に自信を持ってる。俺は自分の曲が好きだ。

10/19(金) 曇り・雨 カレーをつくったけどご飯を炊き忘れた

今日もアルバイトをした。活発な一日だった。
こんな愛のない仕事でも、全力になれるときは楽しいんだ。できるだけ、全力でいたいんだ。身体の機能を使っているという感覚で。
三浦さんに、「萩野が早い動きしてる時って面白いよね」と鼻で笑われた。
ホットドリンクを4回補充した。

森達也藤井誠二の対談本「死刑のある国ニッポン」を読了した。
単なる論に終始しないという姿勢が尊いと思った。社会制度から心の領域まで深く深く潜って、宗教的な部分にまで行き着く。そしてそこから、この国のこの社会を覆っているものを炙り出す。読んでいて戦慄を覚えた。
主義主張はどうであれ、苦しみ、痛みの渦中にいる人の気持ちを、精一杯想像し理解しようとする努力が伝わってきた。そして、誠実な故に常に自身の無知に対して葛藤している。板挟みになっている。真っ向から対立する二人だけど、その点で、彼らは似ている。
難しい問題を、こんな角度から論じてくれる人がいて、良かった。
そういえばこの前、この二人のトークイベントを見に行った。それについては今度書けたら書く。

だいごくんと電話した。2時間以上も会話した。恋人か。酒を飲んでたせいかものすごく陽気だったし、関東弁だった。違和感があった。昔話で盛り上がったりしたけど、やっぱり隔たりを感じてしまった。同じ日本語なのに違う言語を翻訳しているように聞こえてしまい、解釈に戸惑ったし、俺も喋りながらただ独り言をぺらぺらまくし立てているだけなんじゃないかという気分になるときがあった。特に、好きなものの話をするのが、難しかった。
だいごくんは遠くにいた。ずっと会ってなかったし、多分見てきた世界も相当に違うはずだから、まあ当然といえば当然か。学生時代の同級生と同窓会で十数年ぶりに再開した人とか、みんなこんな気持ちになるのかな。
だいごくんはなんと明日からアル中病棟に入院するらしい。酒が手放せなくなって、何回か入退院を繰り返していて、今回も2ヶ月くらい入ることになりそうだということだ。26日、だいごくんの住み処の山谷のドヤ街(!)に遊びに行く約束をしていたけど、なくなった。なんとなく悲しいし、心配だ。だけど俺には何の力にもなれそうもない。せめてお見舞いくらい行って果物とか差し入れしたいけど、面会も制限があって、親族以外だと厳しいらしい。
死ぬの怖いよなとかいう話をして少しだけしんみりとした。
退院したら、山谷のドヤ街を案内してもらう約束をした。それから、何か一緒に音楽をやろうと。そんな話をした。

晩飯はカレーをつくった。
市販のルーを使っているので、本当のカレー好きというかカレーオタクのやつには負けるけど、色々こだわった結果海軍カレーより美味しくなった(体感)。
でも、ご飯を炊き忘れてしまった。悔しかった。

大したことはしていないけど、今日も生きれたな。
明日も生きれるといいな。

10/17(水) 曇り 自意識おばけ

AT-4040が欲しいのでバイトしようと思い、虎ノ門の店舗で派遣入れた。2、3ヶ月ぶりくらいか。不安だったけど、細かなルールとか結構忘れてなかったので大丈夫だった。一回も問題を起こさずに済んだ。岩崎さんがいたので安心して働けた。岩崎さんは明るいから好きだ。性格が明るいというより、働き方が明るい。見てて元気が湧くし、頑張ろうという気になる。コンビニなんていう職種でそういう人は滅多にいないよな。
ただもう、覚悟してたけど、客多すぎて超へとへとになった。午後くらいから時の流れに鈍感になり始めて、本当に身体が半ば機械になってしまったような感じがした。レジしかやることがないとだんだん頭おかしくなってくる。中学生の頃鬱で日がなテトリスばかりしていた頃、同じような感覚を味わった気がする。エヴァンゲリオンを操縦する訓練をさせられるシンジくんも、多分こんな感じだったんだろうと思う。
今日はそれだけの日だった。帰ってきてから何もできずいきなり1時間くらい寝てしまった。その間に奈緒がご飯をつくってくれた。ミートソースパスタとカブのスープ。ご飯をスープにつけて食べると絶品だった。
俺の日々は現状ほぼコンビニの日々だから、日記を書くとなるとコンビニの話題が増えるのが嫌だ。家に帰ってまでコンビニのことを思い出したくない。抜け出したい。一発逆転ゲームしたくなってくる。

日記を更新していない間、人生に疲れて何もする気が起きなくなっていた期間が数日あった。寝て、起きて、バイトして、聴き慣れた音楽を何度も聴いて、使い古した絶望をいじくり回していた。生きるために風呂に入ったり歯を磨いたりしなければならないことがすごくめんどくさかった(責任がない分アルバイトよりめんどい)。
グルパリさんが歌詞で「十月病」とかいう言葉を使っていたけど、ちょうどそんな感じ、季節の風に当てられていたような気がする。
その期間のことは今もうすっかり忘れている、というかほとんど記憶に残ることがないので、あまり描写することができないけど、奈緒にも冷たくしてしまったような気がする。
気持ち的にはずっとあのままでいたかった。それはそうだ。何もせずにいれば、何にも期待なんて持っていなければ、不用意に傷つけられることもないし、人に迷惑をかけることも少なくなる。誰だってそう思うだろうし、子供の頃から調子に乗ることで人に迷惑をかけ続けてきた俺は、特にそう思う。落ち込んでいるときの自分が、一番安心していられる。
だけど、放っておくと、だんだん何かを感じたくなってくる。何か新しい体験がしたくなるし、人と話したくなる、面白いことも言いたくなる。気がつくと何か考え事に熱中していたり、これからの予定を組み立てたりしている。聴き慣れた音楽では退屈だと感じている。そうしてまた、いつの間にか早足で歩き出す。
すぐ落ち込む割に回復力はあるのか、それとも一つの気持ちが長続きしないだけか。落ち込んだりするのには理由があるときもあるし、ないときもある。元に戻るきっかけもそうだ。ただ、また近いうちに派手に転ぶだろうことははっきりしている。今までずっとそんなことの繰り返しだった。とにかく「自分」というものは制御ができない、できた試しがない。

活動的な自分には常に自己嫌悪がつきまとう。自分を監視している自分が必ずいる。明るい気持ちでいる時の方が、傲慢さが増している分怒りも湧きやすくなるし、後々自分の嫌な部分に気づくことになる。
そういったことも、多分無意識の部分で全部わかっているし、結局自分が正常だと感じている時は、一番ストレスが大きい。なので、鬱な時から活発な自分に戻れそうなタイミングが、一番うんざりした気持ちになる。
ところで、人間や動物のほとんどの行為は、何かから逃れ出ようとする動きなんじゃないかと思う。飢えから逃れるためには食べるしかないし、自分が食べられないためには、痛みや恐怖から逃れるためには戦うしかない。もっと複雑な行為も、どんな些末なことも、あらゆるものの原型がこれなんじゃないかと。どんなにわくわくすることでも。どんなに自由意思のように見えても。そうじゃないものがもしあるとすれば、すごく価値がありそうな気がするので誰か教えてほしい。

奈緒のことは、気分の高低差によってかなり振り回してしまっていると思う。それだけが心配だ。
一番近くにいる人ほど、気が回らなくなってしまう。緩くなってしまう。自分の一部のようになっているからだ。でもそれは勘違いだし、みなすべからくそれが原因で離れ離れになってしまう。
とにかく、経済力を差し引いたとしても、子供を持つのは当分無理だな、と思う。こんな状態ではとても。そんなこと言うのも今更だけど。

10/12(金)曇り 誰だって自分を守りながら生きている

来月からここにいるよ杉浦というバンドマンのもとで、植木屋の助手をやることになった。ツイッターでバイトを募集しているのをたまたま見たので連絡した。
コンビニより明らかに心に優しそうだ。草や木や自然が相手の仕事。肉体労働だとしても構わない、怒りを殺してありがとうございましたとか言う仕事よりも、百倍健全だろう。平和に過ごせるのならそれが何よりだ。怒りって疲れるんだよな。蓄積された怒りが創作へのエネルギーに昇華されてる時もなくはないとは思うけど、それよりメーター振り切って何も感じなくなってダウンしてる時の方が圧倒的に多い。月に数回の草むしりとかの仕事で、ちょっとでも平和な時間が増えて感受性を取り戻せたら嬉しい。
今のコンビニやめたい、やめてやるって思うほど強烈なストレスを感じる出来事は定期的にあるけど、シフトの融通がききまくるのと、廃棄食べ放題なので、現実的なメリットを考えると捨てがたくなって、大学生とか全員やめてもズルズル居残っている。もう3年半くらいだ。年月で考えると死にたくなる。最近年下ばかりが増えている。もちろんこの仕事が好きなわけではないが、何年もいるだけあって信頼度が高いし、好きな人たちも何人かいるので、楽しいと思う日もある。
好きな人たちがいるのが何よりもいい。
好きな人たちのこと好きだし、多分自分じゃ気づけない何気ない部分でかなり助けられていると思う、だけどバイトやめたらもう会うこともないのかなと思うと寂しい。やっぱりバイトはバイトだから、ディズニーランド行ったり、家に呼んで鍋やったりする間柄じゃないから。飲み会とかも行かないし。まあごくありふれた当たり前の話だと思うけど、そうやって疎遠になった人が今まで何人もいて、不老不死の命を手に入れて友達とかがみんな寿命で死んでいくのを見ているしかない人、みたいな心境になる。何もかも懐かしい。
あとは、煽ってくる客に対して自分が耐えられなくなってついぶち切れてしまってやめさせられる機会を待ってるのかもしれない。それが俺にとって一番納得感あるやめ方な気がする。オーナー嫌いだからオーナーにぶち切れてもいい。妄想だけは得意だ。
そういえば聞いた話だけど、商品を持ってそのまま店を出るだけで、スマホのアプリかなんかに自動で登録されて値段ぶんが引き落とされるというシステムの、新しいタイプのコンビニが進出してくるらしいな。もうレジは必要ない。
俺が今のところ社会の役に立ってる部分レジの速さだけなのに、って思うと少しだけ残念な気持ちだ。この先俺が何の成功もせずにフラフラしたまま年を取ったとしても、この世にコンビニがある限り仕事には困らないと思ってたけど、レジ自体がなくなるということは、飢え死にする可能性が出てきたな。

最近、朝目覚めた時に最悪の気持ちで、午後になるにつれ徐々に立て直していくというサイクルで回ることが多い。モンスター飲んだ。
三浦さんがコーヒーマシンの部品ぶち落として、部品が壊れてコーヒー販売中止になったの、可哀想だった。かなりしょげていたので、休憩時間に「しょげないでよベイベー」の動画をラインで送ったけど、携帯見てなかった。(部品は本部に電話したら2時間くらいで新しいのが届いた)
今日もつまらないことをうじうじと考えていたと思う。けど、いつものように全部忘れた。
最近レディオヘッド聴くことが多い。特に、天気が悪い日はレディオヘッドを聴こう!という気持ちになりやすい。今まで何十回聴いたかわからないアルバムを、また。知ってる好きな曲ばかりを聴いて新しい音楽を聴こうという気になかなかならないので、いつまでも枠が広がらない。音楽やってるのに全然音楽に詳しくない。友達が音楽の話してる時大体右から左になる。多分音楽より小説とかの方が詳しい、あと宗教の話とか。10代終わり頃に聴いていた音楽を未だに聴いているけど、それでもまだ聴くたびに新たな発見があるのはすごいと思う。トムヨークの手腕でしょうか。
そういやこの前レディオヘッドの面白いネタを思いついてツイートしたけど、全然ウケなかった。面白くなかったみたいだ。

夕方頃精神的に安定してきた頃に、三浦さんにかなりキツめの言い方で言われた一言がスイッチとなって、硬直した世界に入った。あらゆる感情を拒否する態度で17時までバイトして、すぐ電車乗って帰った。誰とも会話しなかった。
スイッチ自体に意味はない。それは大したことじゃない。だけど、一瞬揺らいだ時に、すぐに元に戻れるか、そのままズブズブ沈んでいくかは、その日の体調や、直近の暮らしぶりとかで決まってくる。今日は何故かズブズブ沈んだ。知らないよ、自分がなんでそうなるかなんて、よくわからないよそれは。
久しぶりに神聖かまってちゃんとか聴いたな。いや、別に久しぶりでもないか。割と定期的に聴いてるか。定期的にこうなるので。もはや音楽的にどうこうとかはどうでもよく、母親の形見のハンカチみたいな存在になってきている。
憂鬱は防御だ。お布団。何もかもを諦めているときは、不思議と温かい。それは俺が今までの人生で培ってきた処世術であり、心の殻に対して絶大な信頼感を持っている。俺の意志とは別の部分で。
だって、殴られたり蹴られたりする時、うずくまって頭を守るでしょう。圧倒的な力の差がある場合は、一番痛くない体勢で固まるしかないでしょう。そんな自分を嫌いだとか惨めだとか思う意識すら、この殻で包んでしまう。もう良いとか悪いとかじゃない、それで生きれるならいいと思う。
そして、そこにいる限りは死に近づきながらも心の中は平穏なので、ずっとそこに留まっていたくなる。何回か平常時に戻れそうなタイミングがあったけど全部スルーした。
家に帰って、奈緒をほとんど無視するような形で、グレン・グールドゴールドベルグ変奏曲を聴く。木漏れ日が揺らめいているような美しさを感じた。俺はクズだと思う。罪悪感が芽生えかけるけど、それすら幼少期のバイアスに強烈に歪められていることをよく知っているから、疲れて心の力を手離す、とかいうことを考え出している俺はDVの素質ありそうな気がする。罪悪感という概念は難しい、深く考え出すと必ず母親の顔が浮かんでくる。
一つ言えることは、平常時との差が激しすぎかつスイッチがどこにあるかわからないので、周りにいる人は大変だと思う。そのせいで人と距離を取る癖がついてしまった。人に迷惑かけるのは辛いので。俺だって大変だよ。自分が本当は何を考えてるのか、とか頻繁にわからなくなるし。俺は自分のことしか考えてないのかなあ。

ヨシがレッドロブスターでご馳走してくれた。そのあと、スーパーで食材などを大量に買ってくれた。その間に精神状態はいくぶん回復した。というか、普通の会話を意識してやっていると、だんだんその通りになってくる。
ヨシは、不安になるくらい俺と奈緒に対して湯水のように金を使ってくれる。最初は、なんていうか、ほんとに怖かった。今はもうそういう気持ちは完全に麻痺して、ただ普通においしい思いをしている。でも、たまにふっと思い出したように、これどうなんだろうと思う。

家に帰ってツイッターを見ると、なんとだいごくんからDMが来ていた。
びっくりした。
しかもありえない要望が書いてあって、どうしようかと思った。
色んなことを思い出した。主に過去の自分の調子に乗っている恥ずかしい言動を思い出して嫌な気分になったけど、あの日々は今思えば青春だったのかもしれない。
ガレージバンドで一緒にノイズをつくったり、大音量で銀杏BOYZを流したり、酒飲みすぎて部屋で放尿したりしていた。
だいごくんに色んな音楽や映画を教えてもらった。
そういえばだいごくんのちんぽしゃぶったこともあるな。痛い過去でしかないけど。
色々と複雑な気持ちだ。返信は明日しようと思う。それなりに気合いを入れてちゃんと書こうと思う。
とにかく、だいごくんが生きていてよかったと思う。正直死んでてもおかしくないと思ってた。多分だいごくんが死のうって時に、俺は何もできないだろうから、こんなことを言うのはずるいと思うんだけど、だいごくんが生きていたということが嬉しかった。