日報

あるいは遺書

りゅう

日記

こんなにも劣等感を感じてしまうのは、自覚的でもそうでなくとも、基本的に人のことを見下しながら生きているからだろう。振り返ってみるとそのことに気付くことはできるが、自分の在り方を変えることは難しい。本当には気付けていないということなのだろうか。内省と見せかけて、自分を低く見積もることによって人生のハードルも下げるという、言い訳の一種でしかないのだろうか……もしくは負のナルシズムを使ったオナニー……

 

一昨日、毎日仕事中に流しているウェザーニュースライブで、角田奈緒子キャスターが来週の火曜日で退職するという発表が、何の前触れもなく突然あって、別に推していたわけではないけど、毎日のように姿を目にしていたので、思いの外寂しいと思った。コメント欄は号泣ニキが溢れ返り目も当てられない有り様になっていた。俺は初めておしこわ(おしらせこわい)の意味を知った。おさやだっていつまでもウェザーニュースにいるわけじゃないんだ、こんな日々もいつかは終わるんだ……と思った。

 

怪しいスピリチュアルに傾倒した友人の影響で、青空を見上げて自分(の魂的な何か)が生まれたであろう惑星のことを思いながら、「早くそっちに帰りたいよ……」などと夢想する時がある。もうすぐ春ですね。

 

洗濯機がピーと鳴ったので洗濯物を干します。