日報

あるいは遺書

りゅう

6/2

寝れるだけ寝た。9:57起きる、アラームが鳴る3分前。昨夜寝たのは0時頃だったので、10時間近く眠ったことになる。ハチドリに光を当てる。薄曇り。髭を剃り、歯を磨き、顔を洗う。昨日は風呂に入らなかったので少しべたべたする気がする。コーヒーを淹れ、久しぶりに詩を書く。なるべく着地点や方向性を意識しないようにして書く。詩というかただの文字の羅列。流れるプールに流されていくような感覚になる。クリクラの人が水を交換しに来る。
ウェザーニュース流し見しながら仕事。11時までゆいちゃん、11時からさーやん。たくさん寝たためか体調が良い。あまりにもやる気がなく数日前からほぼ放置していた優先度低のウェブデザインの仕事に取り掛かる。今までやったことがない作業なので進みは遅いが、昨日や一昨日と比べると今日は格段に集中して業務に取り組むことができる。やっとエンジンがかかってきた矢先に新規コーディングの案件。昨日も一昨日もあまりにもだらだらしすぎているので、デザインの方は土日にちょっとやってもいいかもしれない。
首の右側が痛い。寝違えたのかもしれない。おさやがストレッチを実演する動画を見ながら真似してストレッチをする。その後もう何回再生したかわからないやったー集を見てニヤニヤする。
久しぶりに瞑想10分。脳は色々なことを考えている。遠くからちりんちりんと風鈴の音。
昼食は2日前くらいに奈緒が漬けておいてくれた味玉、野菜スープ(にんにく、玉ねぎ、しめじ、小松菜)、あと納豆。納豆は何故か奈緒がいつも買ってくるけれど、俺が食べないと賞味期限が切れるまで減らないので食べる。14時からあーちゃん。あーちゃんが今日東大王に出るというのでコメント欄がざわざわしている。知り合いがテレビに出るような感覚になり、期待が膨らむ。本人による言及は特になし。昼食を食べながら昼マスオまで見る。
食後の散歩も兼ねてスーパーに行く。今日はスーパーに行けるほど精神的に安定していると思う。外に出るとじっとりと暑く長袖を羽織る気にはなれないが、空気の中にひんやり感はまだある。このぐらいの気温が暑さのピークであってほしいと思う。風が強い。神社の周りをツバメが飛び回っているのを見る。最近はよくツバメを目にする。生ぬるい突風に煽られて高速で宙を旋回していく。思考や感情が発する目の細かい波動と、地球全体を覆うような大きなおおらかな波動、について思い浮かべる。
再びウェザーニュースを流しながら、あまり急がずに仕事をする。17時からはあいりん。ぐっさんが謝罪会見みたいになってて面白かった。コーディングは準備的なところと大枠のマークアップ工数は2人日から3人日くらい?オウンドメディア的なサイトはあまり作ったことがなかったのでセクショニングタグの使い方がよくわからず、結構調べた。参考になりそうなサイトをいくつか見たりしたけど、divしか使ってないようなサイトもあって結局あまりよくわからず、まあ適当でいいのかと思う。
18時55分に業務を終了、夕飯は玉ねぎと茄子と豚こまの味噌炒め。19時に間に合うように奈緒が作ってくれた、奈緒ありがとう。東大王にあーちゃん登場、ウェザーニュースが一瞬紹介され嬉しくなる。奈緒と一緒にテレビに向かって声援を送る。奈緒があーちゃんは美人だとしきりに褒める。テロップにも美人キャスターと出ていた。開始早々に自由の女神。あーちゃん節のようなものが出ておりテレビでもこの感じなのかと思う。テレビ慣れしている感じで堂々としている。ただ元来の控えめな性格なのか、初めにちょろっと喋っただけでそれ以降はあまり活躍する場面はなかった。
首がまだ痛く、風呂でもストレッチをする。風呂上がりにキウイ、食べ頃。皮もむきやすかった。日記を書くついでにウェザーニュースを覗く。あやちマスオでまた外す。いい外し方だったのでコメント欄大盛り上がり。ぐっさんあやちにも謝罪会見みたいになる。ぐっさんのしゅんとしてる感じの顔が面白い。

 

 

2021年5月の気付き

・意識には縦軸の上昇/停滞と、横軸の集中/拡散がある。停滞かつ拡散状態の時にどうするか。
・眠る時に必要な意識は拡散。
・悪霊化するよりは否定して遠ざけた方がまだ健康的である。
・「原子で出来ていない物質」があったとしても人間の脳はそれを認識することはできない。
・「何を望みたいか」と「何を望みたくないか」は全然違う。後者に囚われすぎてはならない。
・宗教や争いに関して、伝統に固執しすぎだろと冷めた目で見てしまうのは、自分が誰からも伝統を受け継いでいないからかもしれない。
・あらゆる動きは元に戻ろうとする力と変革を求める力のせめぎ合いである。ところが、元に戻ろうとした結果変わってしまうこともあれば、変革を求めた結果元に戻ってしまうこともある。
・芸術や創造的行為をしている時の自分が好き。だから成果に関わらずそれを続ければいい。
・自分の価値を自分で高められる人に対して、人は敬意を払う。
・何かを付け加えることで得られる喜びは子どもの喜び、減らすことで自由になる喜びは大人の喜びという風に分けられるかもしれない。