日報

あるいは遺書

りゅう

3/3(水)晴れ

9時起きる。快晴。ハチドリに光を当てる。コーヒーを淹れ、かなり久しぶりに窓辺で詩を書く。言葉がするすると出てきて永遠に書き続けたいと思う。少し肌寒くコートを着込んで散歩。日差しは暖かいが空気がひんやりする。なすがツイートしていたビル・エヴァンスのアルバムを聴く。ピアノがやわっこくて春の陽光に溺れそうになる。散歩から戻るとクリクラの人がちょうど入れ違いで帰るとこだったので、すみませんすみませんと何度か謝り、空を回収してもらう。今日はひなまつり。始業10分前にアコギの弦を張り替え、弾く時間はなし。躁状態で生産的っぽい思考が浮かんでは消えるが、経験上こういう時に生産的に過ごせたことはほぼない。些末なことに気を取られ何にも集中できない。●●●●●●-●●●●●のグロナビの追加とかをやる。もはや最初から諦めているが、改築に改築を重ねサグラダ・ファミリアや沢田マンションのようなカオスなcssが出来上がってしまっている。ディスコードで通話しながら作業。何故か二重スリット実験とかシミュレーション仮説みたいなオカルト的な話になり、好きな分野なのでオタク口調になり色々喋る。オタク口調になっている間は作業が止まっている。はっとりに安否確認のラインを入れる。なっちゃんもはっとりも日曜から既読すらつかず、なっちゃんが返事をしないのはいつものことだけど(ムカつくけど)、はっとりは連絡がマメな方だと思っているので心配。避けられてるか死んでるかのどちらかだと思うが、命に関わるくらいなら避けられていた方がまだマシだと思った。バンドとかめんどくさくなってきた。改行するとついちゃんとした文章を書こうとしてしまって長考してしまうので改行なしでここまできた。仕事の合間に曲の練習をするなどをする。僕の戦争のカバーのオペラみたいなやつを見て笑う。晩飯はシチューを東大王見ながら食べる。ヒカタンが偉人に関する問題を誰よりも早く当てていた。ヒカタンはあと3回で卒業。ハルさんのツイッターが復活していてホッと一安心。死んだかと思った。死に敏感になりすぎている?ある日突然いなくなる人を何人も見てきて、人間の生命力などというものを全く信用していない。若くても年寄りでも死ぬ時はあっけなく死ぬからな。このままじゃだめだという漠然としたもやもや感がある。何がだめなんだろう、自分自身を許せるようになりたい。退屈なのかな。この前まともな人間になりたいと言って赤ちゃんの泣き方をした。カフカの変身を読み返す。昨日カフカについての思いの丈をなすに長文で送りつけたりした。カフカの墓に行きたいと奈緒に言ったら、次の海外旅行はチェコにしようと言われ、嬉しかった。

 

 

------メモ------

 

きょう‐じゅん【恭順】 

[名](スル)命令につつしんで従う態度をとること。「王に恭順の意を表する」

 

ちんば【跛】 

1 片足が不自由で、普通に歩けないこと。

2 対 (つい) であるべきものの形や大きさがそろわないこと。また、そのものや、そのさま。かたちんば。「跛な(の)下駄」

 

カフカの晩年のエピソードとして、ドーラ・ディアマントより次の様な話が伝えられている。ベルリン時代、カフカとドーラはシュテーグリッツ公園をよく散歩していたが、ある日ここで人形をなくして泣いている少女に出会った。カフカは少女を慰める為に「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだ」と話し、翌日から少女の為に毎日「人形が旅先から送ってきた」手紙を書いた。この人形通信はカフカプラハに戻らざるを得なくなるまで何週間も続けられ、ベルリンを去る際にもカフカはその少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形なのだと説明する事を忘れなかった。