日報

あるいは遺書

りゅう

2/13(土)晴れ・薄ーい曇り

探しに行くのではなく、向こうからやってきたものを捕まえる。自分の中に飛び込んできたものを信じる。

 

朝起きた瞬間に料理っていつ覚えたんだろうと思って、それをずっと考えていた。実家にいた時は料理なんてしなかったし、したとしても普通はあり得ないようなひどい失敗ばかりしていたような気がする。ひろせくんの家にいた時はスーパーの半額の弁当で食いつないでいた。シェアハウスにいた時は300円払ったら江添さんが飯作ってくれたし、カムイさんちにいた時は働いていたコンビニの廃棄の弁当ばかり食っていた。そうすると、やっぱりあやと暮らし始めた時くらいか。味噌汁の作り方もあやに教えてもらったし、朝コーヒーを飲む習慣もあやの影響だった。あやには最低限文化的な生活というものを教えてもらったと思う。もうコンビニ弁当の生活には戻れない、あんなもの二度と食べたくない、体調悪くなるし。そういえば、カムイさんに教えてもらった炒飯のレシピは未だにとても役に立っている。それなりに美味しく作れることを自負しているし、得意料理と言える。カムイさんはもう俺なんかのことは嫌いだろうし、俺もカムイさんの曲とかラップは好きでも嫌いでもなくてどうでもいいけど、炒飯のレシピ教えてもらえただけでも出会えてよかったと思う、そういうのがすごく嬉しいと思う。しかし、こうして見ると人の家にばかり住んで全然一人暮らしというものをしたことがないな。22歳くらいまで何故か住民票も保険証も持ってなかった。今人並みにまともな生活をしていることを不思議に思う。一人暮らししたら死ぬと思う。

 

脳が火照ったまま上手く眠れず、起きてるのか寝てるのかわからないようなまま朝を迎え、頭の中がごちゃごちゃしている。家を出る前に洗濯機を回したまま放置していることを思い出して、大急ぎで干していたら、頭がおかしくなりそうになった。情緒不安定というか、容易く何かのスイッチが入ってしまいそうで、こんな感じで外出とかしていいのかと思う。梅が咲いている。空が高く、眩しい。意識が内面に向かいすぎている気がする。自分の外側にあるものをしっかりと認識していたい。最近ほぼ神聖かまってちゃんしか聴いてない。そういう時期ある。

 

雲一つない空、かと思ったら、太陽の周辺に気をつけて見ないとわからないくらい薄ーい雲がかかっている。柔らかい日差し。小春日和。

 

喉の調子は良くないし、忘れ物もして、今日はもう駄目な日かと思っていたけど、練習でたくさん笑って心が正常に戻った。くだらないことで涙が出るほど笑うみたいなのを毎週やっている。大人になってからこういうことはほとんどなかった気がする。人と会うと大体疲れるので、逆に疲れがとれるというのは本当にすごい。良い仲間に巡り会えた。

 

駅のトイレでおしっこしながらぷぅ〜とおならが出て恥ずかしかった。

 

夕飯はココ壱で海の幸カレーにきのこトッピングで海の幸・山の幸カレー。

 

23時8分、長い地震。心臓がドキドキした。揺れが収まった後もしばらく船から陸に上がった時のように揺れている感覚が続いた。テレビが混乱している。Twitterに人が集まっている。津波の心配はないと報じられ、ホッとする。

宮城テレビのオフィスの映像で、揺れ始めた瞬間に走ってカメラを取りに行く男の人の姿が映っていて、職業意識が高いと思った。揺れ始めのスタートダッシュもさることながら、揺れながら落ち着いてカメラを回し、ちゃんと使える映像を撮っているのがすごかった。きっと今まで、幾多もの修羅場をくぐり抜けてきたのだろう……。