日報

あるいは遺書

りゅう

2/12(金)曇り

 

雲の中にうっすらと太陽が透けて見える。弱ーい日差しがずっと差していて、影が濃くなったり薄くなったりする。今日は結構肌寒い。 

 

電車には結構な人数が乗ってきて、ちょっと緊張した。コロナがどうとかではなく、単純に人の多いところにいる機会がほぼないので、性格の暗さが災いし、不審者っぽい動きをしてしまってないかみたいなことがずっと気になって落ち着かない気持ちになった。

ドアの近くに立って車窓を眺め続けた。普段画面ばかり見て近くにあるものしか見ずに1日を終えることが多いので、なるべく意識して遠くにあるものを見るようにした。都市の中にちょっとだけある森の中の裸の枝とか、マンションのベランダに干された色とりどりの洗濯物のはためきとか。

 

久しぶりに会社の近くのコンビニでコーヒーを買った。

 

去年の4月頃から会社にはほとんど来てないので、会社に行くと去年の4月頃の匂いがする。初心に返るというか、採用されて嬉しかった気持ちとか心機一転頑張るぞーみたいなのが未だ塗り替えられずに残っている。

会社の近くの飲食店は、大学生がいないから軒並み潰れていってるらしい。ダルシムが閉店した理由が、コロナ関係なくご近所トラブルだったっていうのがなんか面白くて笑った。

会社に自分のPCがもうないので、あまり仕事もせず、適当に喋ったりラーメン食べたりしてから帰った。

 

夕暮れ、バスの中で詩の朗読を聴き、色々なものが頭の中に流れ込んで止まらなくなる。

自分で書いた詩なのに、唐突に入ってきたような感覚、出逢ったという表現がまさにぴったりで、胸がぎゅうっとなった。

言葉というのは発音されるためにあるんだなと思った。発音してくれる人がいて、良かった。

 

9歳とか5歳の泣いている自分を迎えに行かなくちゃ、とずっと思い続けたまま、ずっとここに留まり続けているような気がする。

もっとたくさん書きたいことが山ほどあるけれど、やっぱり難しい、人間の言葉難しい。詩とか歌で、いつか表現できるだろうか。できたらいいな。