日報

あるいは遺書

りゅう

2/7(日)晴れ

寝癖が強力すぎてなかなか直らず。

 

換気のために窓を開けると、春としか言いようのない風が部屋に流れ込み、鼻腔と肺をくすぐる。こういうの春一番って言うんだっけと思って調べてみたら、3日前くらいに春一番が吹いたと気象庁が発表していた。

 

梅が咲いている。

 

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柚子がなっている(写真なし)。

 

昼飯、五右衛門でいくらとうにのクリームパスタ。大盛りにしたら意外と重たい。うにの味がするうにとうにの味がしないうにがある。

 

kino cinémaにて「天国にちがいない」。奈緒は違う映画館でヤクザの映画を観るということで一旦解散。静かに面白くて退屈な映画だった。深夜にテレビつけてこれがやってたら絶対嬉しい。一緒に見なくてよかった、多分奈緒がこれを観たら寝るだろう。100分くらいしかないのにやたらと長く感じた。

終演後何故か浮ついた炭酸飲料が飲みたくなり、普段まず買うことのないペプシ自動販売機で購入。映画館の前のベンチに座ってそれを飲みながら、横断歩道を渡ったり信号待ちをする人々の群れを眺める。空は茜色。完全に春の装いで来たので、この時間になるとさすがに冷える。日曜日なので3歳前後のガキとその家族が目立つ。ペプシは全然美味しくない。

見るという行為について考える。見るということは見られるということでもある。人を見るのは怖い。見る時に、見られることを恐れてすぐに目を逸らしてしまう、それが癖になっている。相手の目に自分がどう映るかばかりを気にして、目を開いていても何も見えていない時なんてざらにある。あんな風に子供のような目で、何も判断せず、じっと目の前にあるものだけを見つめることができたら。世界に対して開かれている目。子供のように、というより、むしろ赤子のようにと表現した方が的確かもしれない。赤ちゃんはよくあんな透き通った目で見てくる。見られることを恐れていない。その目の中にあるのは混じり気のない純粋な好奇心だと思う。傷つけることも傷つけられることもない、強い目。

あと一歩進めば虚しさに足を踏み入れそうな、静かで穏やかな気持ち、心地いい。映画を見る前と見た後で見える景色が変わったので、いい映画だったのだと思う。

 

映画館に向かう途中で見た大道芸人が、映画が終わって帰る時にもまだ大道芸をやっていた。

 

速度の遅い動く歩道の上で立ち止って、何もせずにぼーっとしながら頭の中を幾多の考えが渦巻くままに任せるのは良いな、と思いながら遠くを見た。

 

奈緒の映画が終わるのを待っている間に、宗教に勧誘されそうになり命からがら逃げ出すということがあって、消耗する。最初1人と話してたのにいつの間にか3人に囲まれていて、怖かった……。奈緒が入ってきてくれたので本当に助かった。それにしても何故騙すような方法を使うのか。釣り堀の魚のような扱いを受けたことに多少傷つき、しばらくもやもやとする。電車には広告ポスターが所狭しと貼られ、テレビをつければ不安を煽るような声。人の作り出した情報が目に入る度に自分の心をどこかに誘導しようとする者の意思を感じ、どこに行っても釣り針ばかりがあるような気がしてきて、疲れる。なんとなくうわの空になってしまい、奈緒が映画の感想を色々喋っているのも右から左、ただ暮れていく空を眺め続けた。

 

ヨドバシカメラで高い買い物。家電量販店は光が強すぎて具合が悪くなる。オタクの店員さんが親切に話を聞いてくれた。勧められた物を勧められるままに買う。優しい人にはすぐ騙される。

 

晩ごはんはウーバーイーツで鶏肉のカシューナッツ炒めと青菜炒め、あとライス大。食べきれず。

 

一体何のためにこのような文章を書きしかも全世界に公開なんかしているんだろうと思い、自己嫌悪と恥ずかしさの波が襲ってきそうになるが、弊ブログの読者が毎日の楽しみが増えたと言ってくれたことで持ち直す。飽きるまでは続けようと思った。

 

詩を更新するのを忘れてました、ごめんなさい。