日報

あるいは遺書

りゅう

2018年6月30日〜2018年8月8日までのメモ

自分のペースを乱されないということがとても大事で、そのために基礎的な自分の状態を心地いいものとして保つ必要がある。

 

子供の頃「お母さんに苦労かけられんで」とか言ってきた大人たち全員、一戸建てに住んでて円満な家庭で俺んちより金持ちで孤独や不安定さから無縁だったのかと思うと、本当に腹立つ。そういう奴らと同じ土俵で戦うこと自体バカらしい。社会的成功なんてどうでもいい。俺は俺の幸せを見つけて、自分だけの強さを獲得する。社会なんて世間なんて絶対に信用できない。
「誰も知らない」を見て、子供の頃のことをかなり思い出してしまった。具体的なエピソードとしてじゃなく、脳にこびりついた風景。忘れてはいけないものかもしれない。
俺は母親に対してどんな感情を向ければいいのか。未だにわからない。怒りがある。だけどその怒りを向けることに対しての諦めも。
もう何も望んでいないと思う。じゃあ何故縁を切らないのか?何のために帰省するんだろう。もちろん社会的責任を果たそうなんて気持ちは更々ない。
多分子供の頃の何かについて対話をしなければ、何の意味もない。でも、心の底の方で、諦め、疲れが。
正直気が重い。無理しなくてもいい。

 

バンドは、趣味だ。
本気でやれるほど、俺は他人を信用できない。心を開けない。委ねられない。
でもまあ、趣味は人生に活かすべきだ。
いつか忠と仲良くなりたい。

 

世界から自立できている人間なんかどこにもいない。

 

人生は「より小さな幸せを大切にできるか」だよ。

 

「恥」という概念に向き合うべきなのかもしれない。

 

内に溜まったものを定期的に外に解放しなければならない。身体の中を空っぽにし、浄化しなければならない。呼吸と一緒。世界は全部、呼吸と一緒だ。風呂は最高。

 

俺は元々扱うべき力が大きすぎる。だけど、現実世界、社会の中にはその力を向ける対象がない(もしくは見出だせない、方法を知らない)。なのでそれは必然的に性欲へと流れていく。不快感を伴わない抑制されたトラウマ、性的な感覚に置換された恥の概念。

結局は人との関わり方の問題だ。その中でも、男性性を必要とする場面が突出して強調されている。俺は、男性性を必要とする場面を避けている。

でも、いい。それは生物間の競争の原理、社会のルールとか、その他諸々。俺はそれらと真っ向から立ち向かうなんてことはしない。その枠の外へ行くんだろう。子孫なんてつくらなくていいし、強くなんてならなくていい。ただ、俺は俺の力の使い方をわかっていればいい。

湧いてきたイメージ。向こうからやってきた大きな力を渦のように回転させ、力を受け流すように、また向こうへ返す。柔道とか、気功とか、そんな感じ。自信をつけるよりもまず、その方法を学ぶんだ。俺は競争しない。

 

時間が長くなる現象について

自分以外のすべてが巨大になった感覚。自分が歩いている地面が引き伸ばされているけど、歩幅はそのままなので長く感じる。

逆に自分が小さくなったと解釈することもできる。不思議の国のアリスみたいな。

 

最初ドキドキしてると安定してくるまで楽しくない。セットとセッティングだいじ。

 

恐怖が膨らむことに対する恐怖への自身の生理的な反応について理解した方がいい。

 

あれ?シラフに戻った?ていう瞬間が度々ある(戻ってない)。

 

結局奈緒との日々が何よりも尊い

 

オカズを用いずに生身の身体だけで行うオナニーを、オーガニック・オナニーと呼ぼう。

 

まるでいつも通りのようだけどどことなくおかしくなっているトリップのことを、ナチュラル・バグと呼ぼう。

 

分析するために使ってもつまらない。何かの気持ちになるために、それかただ感じるためだけに使うのがいい。

意味のあることを考えると意味の迷宮に落ちて止まらなくなる。何かを感じようとするときにかなり邪魔。

 

頭と首が焼けるように心地よく熱くて、目を閉じると全身が粘土になって溶け出した。自分が小さくなったり、意識が揺れ出して酔ったりした。だけど、目を開けてお茶を飲んだりすると普通の意識状態にある程度戻れる。目を閉じて浸ろうと思うとどこまでも深く沈んでいく。意識の中にめり込んでいくようだった。そして意識が柔らかく引き裂かれていく。現実が分割されていくような、説明できない感覚。意識の裂け目は四角い。これは心、もしくは脳の内側の本来の形?

 

効き始めの頃きてるやばいやばいと思うとどこまでもやばい気がするし、慣れてきて思ったより大したことないなと思うと大したことなくなる。いくら吸っても酔わない人は、そもそもミラクルを期待してないからだろう。トリップは、心の揺れだ。

 

感情のディレイ現象みたいなものを感じた。自分の感情を言葉によって自覚する→数秒遅れてその感情がリアリティを増して迫ってくる。

 

「怖い思いをしなくてはならない」という強迫観念があるようだ。

無意識のレベルで楽しくなっていれば、こんな気持ちも比較的簡単に弾き返せる。

 

親について考えた時、一瞬ちらっとかすった程度だったのに、それがいつまでも尾を引いて不快で、弾き返すのに苦労した。これについても、親に対しては「怒ってないといけない」「不快な思いをしなければいけない」という強迫観念があるっぽい。それだけ根の深い怒りなのだ。

だけど、考えなくてもいい。せっかく今、大人になって親と離れて自分の力で生きることができているんだから、今は忘れていてもいい。

 

感情の質が絵本の世界になる。恐ろしく素直。

 

記憶がしっかりと留まっているからだろうか、2日経っても未だにごくわずかに余韻がある感じ。自分の意識の深い部分に、前よりも親和性が生まれたというか。音楽を聞くことに集中すると、深い部分に響いている感覚が得られたり、言葉の表現が滑らかに出てくるような気がする。

 

俺が性的な物事にしがみつくのは、精神世界への恐怖の現れだ。女の子が可愛いとかエロいことを考えると一瞬で物質の世界、肉体の世界に戻れるから。旅する勇気を持て。単純な快楽よりももっと価値のあるものがあると信じろ。

 

酔いの深さに関わらず、誘導期と安定期がある。どっちも楽しめればベスト。

 

神聖かまってちゃんのデモ音源の子供がクレヨンで描いたような音が好きだ。

 

「ポップ」は肉体の象徴だ。無条件で現実世界に繋ぎ止めてくれる。

つまりドリームポップは最高。

 

セロトニン・オーガニック・オナニー(別名許しのオナニー)。何かに包まれているようなイメージで許されながら射精する。

 

何をするにも、まず情報を集めないとだめだな。情報がないと目標も立てられない。

 

「知識に誘導されている思考」と「自分の頭で考えること」の違いは、自分自身の主体的、パーソナルな「経験」がそこに媒介しているか。経験に基づいた血の通った思考ができているか。必要な情報を肉体、五感で吸収できているか。単なる「知識」が人間性、その人間の核と切り離された時、すべての意味を失う。その知識を使って自分に何ができるのか、が何よりも重要。

理屈抜きで一番大切にしたいこと、行動原則、公理を明確にぶれずに保つこと。常に目覚めていること。流されていないか。刷り込まれていないか。その思考はどこから来たのか、自己への探求心、葛藤を持つ。

 

①自分のやりたいこと、主張をぶれずに明確に保つこと。
②ファンを大切にし、誠実に向き合うこと。
この二つさえしっかりしていれば、それでいい。それで俺はミュージシャンでいられる。
ダサい言動とか自信とかいちいち気にしなくていい。

 

俺は、みんなを一つにしたいわけじゃなく、みんなを一人にしたいんだ。だから、笑わせたいけど、泣かせもしたい。優しさを添えて。

 

誰かの心にアクセスする手段は、音楽だけじゃなくてもいいと思っている。だから、音楽以外のことが刺さってそれが最終的に音楽に繋がるっていう順番でもいいんだ。音楽と音楽以外のものが複雑に混じり合う形でもいい。心の分野に行けるなら手段を選ばない。