日報

あるいは遺書

りゅう

2018年1月4日〜2018年6月27日までのメモ

人の意識は関係性の中で混ざり合う。好きな人や打ち解けた仲間と一緒にいると、意識同士が混ざり合って新しい形になるし、群衆の中にいると溶けてなくなる。

 

人生は前や上に向かって一直線に進んでいくわけではない。波紋のように広がっていく。

 

昔より素直じゃなくなった
昔より笑えなくなった
昔より人の目を気にしている
昔より殻に閉じている
幸せになりたい
音楽をやりたい

 

死んだら無になるとか絶対嘘だろ

 

自分に自信を持てばいいというものではない。理想だけは絶対に高く持て。

 

人と会話することを諦めるな。コミュニケーションの手段を。

 

利便性は自分自身の活動領域を狭める。住んでいる世界が小さくなる。一歩も動かずにすべてが手に入るのなら、それは子宮の中で生きていることと同じだ。

 

善と悪は矛盾しない。人間は、残虐性を持ちながら、同時に他者への思いやりや共感性を抱くことができる。内と外。危険に満ち溢れている外側と、閉鎖された幸福な内側。領土という概念。

 

力入れすぎ。上手くいかなくても力に頼るな。自分を誤魔化さずにずっと素直な気持ちで。

 

ただ安直に嫌いな思想の反対を実践すればいいわけではない、反語を意識すればするほど元の思想に強く吸い込まれていく。嫌いな思想から最も距離が遠い場所を、辛抱強く探さなければならない。

 

違和感のない状態を、こつこつと、我慢強く見つけていかなければならない。想像力が豊かでなければならない。

 

普段の雑念が湧く弛緩した意識状態と瞑想状態の、明らかな差異に気が付いた。言葉で説明することは難しいが、瞑想状態は、意識全体が前にのめり込んでいるような感じで、冴え渡っている。

 ただ、入ったと思った時にいつも「入った」という言葉が湧いてきてかなり邪魔。その言葉によってまた脳が弛緩してしまう。

 何か色々考えてしまったとしても、それを上から客観的に眺める視点(今俺は~と思っているな)を常に持てば、段々自分が何を考えているのかわからなくなってきて(笑)瞑想状態に入りやすい。

 

聴いている音楽をただ聴く。この脳が今まさに音を聴いている、その仕組みについて思う。感覚が感覚であるということ。

 

瞑想状態に入ると、自分自身の「肉体というシステム」を意識することになる。心も身体も、自分という存在を他人として眺める。血液の巡りとか、特定の箇所のかゆみとか、五感を感じることができる脳という器官。

今この瞬間に自分は存在していて、呼吸することができる、ということを嬉しいと思った。

 言葉で思考している時点で、深い場所へは到達できないのかもしれない。

 

ゆめにっき

6/10 ファミリーマートの休憩時間。いつもの新宿の店舗ではないけど、働いてるメンバーは一緒。何かに熱中している間に15分の休憩時間をオーバーしてしまう。慌てて冷凍食品か何か?を冷凍庫に閉まったりしている間に、30分近く経ってしまう。マハトさんや森川さんの顔が浮かんで、次の休憩は15分にしようと思う。慌てたまま煙草を一口だけ吸って捨てる。
雑貨の路面店みたいなのがいっぱい並んでる通りにあるファミマのレジにいて、学生にチーズフランクのオーダーを受けるも、チーズフランクの在庫がなく、何故かその確認にものすごく時間がかかってかなり慌てる。ファミマを出て雑貨屋を横目に見ながらずっと小走りで歩いたり戻ったり。チーズフランクの代わりにブラジルフランクとかいうのが出ていた。学生に「今チーズフランクないんですよ」と言うと、「あ、大丈夫ですよ、あれ味まずいし」と言われる。

 

6/11 サイコパスの男が昔は思いやりのある子供だったんですよという回想の話。花の茎を鋏で切る。猫が死んだら肉じゃがで埋める。
屋根折りのラインでみんなから冷たく扱われていることを苦々しく思う。

 

6/12 テニスをする。
奈緒の実家?(多分)の家の中が屋内の動物園のようになっていて、色んな小さな動物が放し飼いでいる。かなり膨大な数いる。鶏とか蛇とかと触れ合って遊ぶ。蛇はかなり締め付けてくる。薄暗い部屋の中で写真撮る時フラッシュ焚いた方がいいのかそのままの方がいいのか試したりする。遊んでいる間にどんどん動物が減って、俺は動物に嫌われているんだと思う。
屋内動物園の出口がファミマのレジになっていて(外観は携帯屋みたいな感じ)、おばさん二人組をレジする。昔のバンギャがおばさんになった感じの人。サングラスかけてるし話し方ちょっとウザい。かなり大量買いでレジ終わった後「さっき出した代行収納の紙は?」と言われ、記憶にないが、自分がどこかに置いて忘れているのだと思い半泣きであちこち探しまくる。引き出しを片っ端から開けたりするが、どこをどう探してもない。探しはじめてかなり長い時間が経っている、おばさんはずっと待ってくれているのでもし見つかったら、酒か何かと一緒に渡そうと考える。銀杏BOYZのめちゃくちゃうるさいライブ盤を聴きながら探している(イヤホンで聴いているのに何故か外でも音が出ている)と、部屋のドアがノックされる。レジの方へ行くとおばさんがすまなさそうに、「代行収納の用紙持ってきてなかった。(店頭受け取りのように)店の方で出してくれるのかと思っていた」と言われ、俺は「ああ、そうなんですね、よかったです」というようなことを言った。相手に「悪いことをした」と思ってもらいたくないので、明るくてハキハキして腰の低い良い店員を演じた。出口までおばさんを見送った。ホッとして屋内動物園の中に入ると、ちょっと前に見た時と様子が違っている。前回は平日で今回は祝日という設定になっている。でっかいプールが真ん中にあって、集団でオールを漕ぐ練習をしている人達がいた。写真を撮ったりして遊んだ部屋はガラス張りの部屋に変わっていて、飼育員さんが黒い鶏の毛を刈っていた。
度々夢の中で、この夢日記を書くために夢の記憶を留めようとする意識の働きがあったけど、夢中夢ということなのだろうか?

 

6/19 空を自由に飛ぶ夢を見た。水中を泳ぐクラゲみたいな飛び方。 マンションの屋上に登ったり、河原に行ったりした。
浅野さんの家で遊ぶ夢を見た。家はマンションで、中は団地みたいな感じで結構狭くて汚い。コンビニで酒買いに行こうということになり、外に出る。雨が降っている。道路を挟んで左向かいに100円ローソンがあり、右向かいに知らない名前のコンビニがある。100円ローソンに入るが、中はショッピングモールのように広くなっていて、すぐにはぐれる。ショッピングモールのような100円ローソンを彷徨う。店内にテナントで入っている何らかの店の変な髪型の胡散臭そうな店員に、「あやちゃんはどうしたの?ほら、あの、拓人くんの知り合いの」と聞かれるが、すぐそばに奈緒がいてこっちを見ていたので、「そんな人知らないです」と言った。とても気まずい感じ。その後またショッピングモール内を彷徨った。かなり悲しい気持ちで、絶望しながら歩いていた。

 

6/20 高知のオフハウス(前のバイト先)でかなり気に入った服を見つけて、値段が1万円もしたので値切ろうと思ってレジに持って行ったら、佐竹さんが何も言わずに800円にしてくれた。レジはスーパーみたいなレジになっていた。閉店した後でお客さんが他にいなかった。

 

6/27 メキシコに行った。首都にいたが、砂漠の中の都市という感じだった。地面は舗装されてない砂で、建物はエジプトみたいな感じ。安田も一緒だった。マジックマッシュルームの話をした。コンビニで売っているものは日本とほぼ同じだった。高速バスに乗って移動しなければいけないので、桃のジュースを買った。カウンターのところに100円(日本円)が落ちていた。