日報

あるいは遺書

りゅう

日記殴り

まだそんな年でもないはずだけど、誰々が死んだとかいう話を身の回りで結構耳にする。
めちゃくちゃ当たり前だけど、こういうのって順番だよなぁと思う。
自分はいつどこでどんな死に方をするんだろう。それは誰にもわからないし、誰にも決められない。

たとえばロシアがウクライナに侵攻したのだって、そういう暴力のうねりが順番にやってきただけかもしれない。日本にもまた順番が回って来るかもしれないし、来ないかもしれない。とりあえず今はまだ来てないというだけかもしれない。それは、俺が9歳の時に母親に包丁を突き付けられて死ねと言われた出来事と本質的には同じかもしれない。誰が悪いとかではなくスケジュール帳みたいに全て決められている事柄で、誰にもどうしようもできないことかもしれない。でもだからこそ人は、その運命に置かれた時に、運命に抗うか運命を受け入れるかを覚悟を持って選んで、とにかく最後まで一生懸命やるしかないのかもしれない。どんな結果になるかは誰にもわからないけれど。
死ぬのも楽じゃないしね。
痛いの嫌だね。

 

平和が何より尊いのは俺もそう思うけど、平和のために他者を排除しようとする自らの心の動きを完全に止められる人なんてほとんどいないだろうとも思う。
他人事とは思いたくないけど、飲み込まれたくもない。
この残酷な世界をしっかりと見て、できることをできる範囲でちょっとずつやり続けるしかない。