日報

あるいは遺書

りゅう

10/23(火) 曇り キズナマン

風邪がつらい。
喉の症状は一日で治ったが、今日は鼻が完全にバグっている。
弱っているせいか、バイトをしながら自分という存在について止めどもなく考え込んだ。うわ言のように次から次へと言葉が湧いてくるので、とりあえずツイッターに書いた。

不意に思い出して、黒子のバスケ脅迫事件の意見陳述を読み返した。
異様に引き込まれる文体で、読み始めると止まらなくなり、最後まで読んだ。キズナマンとか浮遊霊とかいう言葉が頭から離れなくなってしまった。
ほとんど衝動的に「生ける屍の結末 黒子のバスケ脅迫事件の全真相」と「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」をアマゾンでポチった。
多分何年か前に読んだ時より深く考えるきっかけになった気がする。自分やこの国を覆っているものの正体が少しだけ見えた。
というか、自分の中で答えが出ている問いの、答え合わせをしている感じだった。もしくは、なんとか社会生活を送るために目をそむけた事柄を再確認させられた感じ。
独特のセンスかつキャッチーな言葉で丁寧に説明してくれるので、とてもわかりやすかった。
自分は、この人の文章に、少なくとも半分くらいは共感できてしまう。ひょっとしたらもっと多く。
どんなにたくさんの糸を繋いでも、常に視界にあり続ける空虚な穴の正体。
実際あらゆる糸が仮設の糸なような気がしてくる時がある。奈緒と別れて、音楽もやめたら、もう何するかわからない。何か飛躍したことをしそうだ。少なくともそういう性質を持ってるよな。
音楽は俺の中でほとんど唯一の強固な糸だ。より厳密に言えば、神聖かまってちゃんとか大森靖子から始まって、派生したものたち。誰に笑われようと、どう考えても本当にそうなんです。俺をこの世に繋ぎ止めて、安心を与えてくれた。こんな思いは、残念ながら家庭の中からは生まれなかった。
俺は必死で音楽やってるよ。だって頑張れることがこれしかないから。「音楽を頑張っている自分」がいなくなったらと思うと、怖くなる。結果が出ないので焦ってしまう。

今日は屋根折りの練習だった。
マンメイド・サテライトを歌いながら、こんな自分がこの曲を書けたのはほとんど奇跡だと思ってちょっと感動した。
屋根折りは演奏も下手だしとても良い音楽活動をしているとは言い難いけれど、曲だけは本当に自信を持ってる。俺は自分の曲が好きだ。

10/19(金) 曇り・雨 カレーをつくったけどご飯を炊き忘れた

今日もアルバイトをした。活発な一日だった。
こんな愛のない仕事でも、全力になれるときは楽しいんだ。できるだけ、全力でいたいんだ。身体の機能を使っているという感覚で。
三浦さんに、「萩野が早い動きしてる時って面白いよね」と鼻で笑われた。
ホットドリンクを4回補充した。

森達也藤井誠二の対談本「死刑のある国ニッポン」を読了した。
単なる論に終始しないという姿勢が尊いと思った。社会制度から心の領域まで深く深く潜って、宗教的な部分にまで行き着く。そしてそこから、この国のこの社会を覆っているものを炙り出す。読んでいて戦慄を覚えた。
主義主張はどうであれ、苦しみ、痛みの渦中にいる人の気持ちを、精一杯想像し理解しようとする努力が伝わってきた。そして、誠実な故に常に自身の無知に対して葛藤している。板挟みになっている。真っ向から対立する二人だけど、その点で、彼らは似ている。
難しい問題を、こんな角度から論じてくれる人がいて、良かった。
そういえばこの前、この二人のトークイベントを見に行った。それについては今度書けたら書く。

だいごくんと電話した。2時間以上も会話した。恋人か。酒を飲んでたせいかものすごく陽気だったし、関東弁だった。違和感があった。昔話で盛り上がったりしたけど、やっぱり隔たりを感じてしまった。同じ日本語なのに違う言語を翻訳しているように聞こえてしまい、解釈に戸惑ったし、俺も喋りながらただ独り言をぺらぺらまくし立てているだけなんじゃないかという気分になるときがあった。特に、好きなものの話をするのが、難しかった。
だいごくんは遠くにいた。ずっと会ってなかったし、多分見てきた世界も相当に違うはずだから、まあ当然といえば当然か。学生時代の同級生と同窓会で十数年ぶりに再開した人とか、みんなこんな気持ちになるのかな。
だいごくんはなんと明日からアル中病棟に入院するらしい。酒が手放せなくなって、何回か入退院を繰り返していて、今回も2ヶ月くらい入ることになりそうだということだ。26日、だいごくんの住み処の山谷のドヤ街(!)に遊びに行く約束をしていたけど、なくなった。なんとなく悲しいし、心配だ。だけど俺には何の力にもなれそうもない。せめてお見舞いくらい行って果物とか差し入れしたいけど、面会も制限があって、親族以外だと厳しいらしい。
死ぬの怖いよなとかいう話をして少しだけしんみりとした。
退院したら、山谷のドヤ街を案内してもらう約束をした。それから、何か一緒に音楽をやろうと。そんな話をした。

晩飯はカレーをつくった。
市販のルーを使っているので、本当のカレー好きというかカレーオタクのやつには負けるけど、色々こだわった結果海軍カレーより美味しくなった(体感)。
でも、ご飯を炊き忘れてしまった。悔しかった。

大したことはしていないけど、今日も生きれたな。
明日も生きれるといいな。

10/17(水) 曇り 自意識おばけ

AT-4040が欲しいのでバイトしようと思い、虎ノ門の店舗で派遣入れた。2、3ヶ月ぶりくらいか。不安だったけど、細かなルールとか結構忘れてなかったので大丈夫だった。一回も問題を起こさずに済んだ。岩崎さんがいたので安心して働けた。岩崎さんは明るいから好きだ。性格が明るいというより、働き方が明るい。見てて元気が湧くし、頑張ろうという気になる。コンビニなんていう職種でそういう人は滅多にいないよな。
ただもう、覚悟してたけど、客多すぎて超へとへとになった。午後くらいから時の流れに鈍感になり始めて、本当に身体が半ば機械になってしまったような感じがした。レジしかやることがないとだんだん頭おかしくなってくる。中学生の頃鬱で日がなテトリスばかりしていた頃、同じような感覚を味わった気がする。エヴァンゲリオンを操縦する訓練をさせられるシンジくんも、多分こんな感じだったんだろうと思う。
今日はそれだけの日だった。帰ってきてから何もできずいきなり1時間くらい寝てしまった。その間に奈緒がご飯をつくってくれた。ミートソースパスタとカブのスープ。ご飯をスープにつけて食べると絶品だった。
俺の日々は現状ほぼコンビニの日々だから、日記を書くとなるとコンビニの話題が増えるのが嫌だ。家に帰ってまでコンビニのことを思い出したくない。抜け出したい。一発逆転ゲームしたくなってくる。

日記を更新していない間、人生に疲れて何もする気が起きなくなっていた期間が数日あった。寝て、起きて、バイトして、聴き慣れた音楽を何度も聴いて、使い古した絶望をいじくり回していた。生きるために風呂に入ったり歯を磨いたりしなければならないことがすごくめんどくさかった(責任がない分アルバイトよりめんどい)。
グルパリさんが歌詞で「十月病」とかいう言葉を使っていたけど、ちょうどそんな感じ、季節の風に当てられていたような気がする。
その期間のことは今もうすっかり忘れている、というかほとんど記憶に残ることがないので、あまり描写することができないけど、奈緒にも冷たくしてしまったような気がする。
気持ち的にはずっとあのままでいたかった。それはそうだ。何もせずにいれば、何にも期待なんて持っていなければ、不用意に傷つけられることもないし、人に迷惑をかけることも少なくなる。誰だってそう思うだろうし、子供の頃から調子に乗ることで人に迷惑をかけ続けてきた俺は、特にそう思う。落ち込んでいるときの自分が、一番安心していられる。
だけど、放っておくと、だんだん何かを感じたくなってくる。何か新しい体験がしたくなるし、人と話したくなる、面白いことも言いたくなる。気がつくと何か考え事に熱中していたり、これからの予定を組み立てたりしている。聴き慣れた音楽では退屈だと感じている。そうしてまた、いつの間にか早足で歩き出す。
すぐ落ち込む割に回復力はあるのか、それとも一つの気持ちが長続きしないだけか。落ち込んだりするのには理由があるときもあるし、ないときもある。元に戻るきっかけもそうだ。ただ、また近いうちに派手に転ぶだろうことははっきりしている。今までずっとそんなことの繰り返しだった。とにかく「自分」というものは制御ができない、できた試しがない。

活動的な自分には常に自己嫌悪がつきまとう。自分を監視している自分が必ずいる。明るい気持ちでいる時の方が、傲慢さが増している分怒りも湧きやすくなるし、後々自分の嫌な部分に気づくことになる。
そういったことも、多分無意識の部分で全部わかっているし、結局自分が正常だと感じている時は、一番ストレスが大きい。なので、鬱な時から活発な自分に戻れそうなタイミングが、一番うんざりした気持ちになる。
ところで、人間や動物のほとんどの行為は、何かから逃れ出ようとする動きなんじゃないかと思う。飢えから逃れるためには食べるしかないし、自分が食べられないためには、痛みや恐怖から逃れるためには戦うしかない。もっと複雑な行為も、どんな些末なことも、あらゆるものの原型がこれなんじゃないかと。どんなにわくわくすることでも。どんなに自由意思のように見えても。そうじゃないものがもしあるとすれば、すごく価値がありそうな気がするので誰か教えてほしい。

奈緒のことは、気分の高低差によってかなり振り回してしまっていると思う。それだけが心配だ。
一番近くにいる人ほど、気が回らなくなってしまう。緩くなってしまう。自分の一部のようになっているからだ。でもそれは勘違いだし、みなすべからくそれが原因で離れ離れになってしまう。
とにかく、経済力を差し引いたとしても、子供を持つのは当分無理だな、と思う。こんな状態ではとても。そんなこと言うのも今更だけど。