日報

あるいは遺書

りゅう

言わなくてもいいことを言ってしまうのに言わなくちゃいけないことは言えない

もう疲れたんだ。人生に疲れた。光は眩しい。おばあちゃんは俺のことも誰のことも忘れ狂った。ろろちゃんは飛び降り中継して永遠に14歳のまま、俺はもう24歳なのに。どんどん心が閉じていく。嘘の笑顔。ハマノリョウ何故死んだ。誰ともすれ違ってしまう。そもそも違うのかなとか思ってしまう。バイト中に気付けば奈緒との別れをシュミレーションしている。いつか別れが来るのが自然だという前提があるようだ。家族的なものに死ぬほど焦がれながら家族的なものに対して抗えない忌避感。キモいというかダルいというか返す言葉がないからまた黙る。家族的なもの。だけど俺は今この家族的なものに最も救われていると思う。音楽なんかじゃなく。自尊心でもなく。俺は、多分、生活が、俺が生活をしているっていうこと自体が。夢のようだ。結婚できるし子供もつくれる。しないけど。でもその可能性を有している。家族的なもの。みほちゃん結婚した。母親はこの歳になってもまだ何かにびくびく怯えながら生きていてキモい。ツイッターで人を轢き殺してしまったアライさんを見た。テレビはつけないでくれ。まるで白昼夢のような人生ですとGOMESSが言う。この前GOMESSのライブ見てありえないくらい大号泣した。身体が重い。最後に、人生の最期に、自殺とか殺人に情熱を燃やしてしまう人の気持ちが、今はちょっとわかる。なんというか、最後の手段だからこそ、本当に生きられるんだろう。命は儚い。何故か俺は今、命を持っている。感覚器から脳みそに入ってくる情報すべての意味がわからない。たまに何もかも混ざってしまう。お前の声とかただの雑音にしか聞こえないんだよ。意味に囚われているから。抱きしめられてようやく自分の醜さに気付く、っていうことがあるよね。全部簡単にしたい。死ぬっていうのはただもうシンプルだ。シンプルで薄型で色があんまりないから惹かれるのかな。自分に何かを楽しむ権利はない。音楽の源泉はリラックスなのに。でもその真逆の真っ黒な感情も表現することができる。不思議だよ。死にたいとかいう内容の曲でも人は踊れる。ずっと言ってるけど赤ちゃんに戻りたい。この前なんかで読んだけどパリピが重低音を好むのは口唇欲求の現れらしい。めっっっちゃ風俗行きたい。でもそんなのにハマり出したらお金がいくらあっても足りないし、生涯東京でしか生きていけなくなるよな。奈緒に別れを切り出されるのが怖い。そのシミュレーションをしてる。怖いからしきりにしてる。大体その後は旅に出て帰らないとかの非現実的なビジョンしかない。シミュレーションの意味ない。雑魚だからすべての責任を放棄したい。何の責任を背負っちゃってんだろう。それさえわからないし。言い訳ばかりの人生。まいっかで全部済ませてきた。その程度の人生。でもずっとこのままいれたら、っていつも思ってる。家族的な。このままなんてありえないのに。もう二度と怒りという感情を感じたくない。自分の中に加害者と被害者が両方いて戦っている。鬱陶しい。愛は怖い。でも愛が何かは知ってる。言葉では説明できないけど、とにかく、とても静かな感じ……でも本当に恐れているのは愛じゃなくて別の何かなのかもしれない。形なんてなくなってしまえばいい。死んだ後に幸せになりたい。俺はどうしても傷つきたくないんだ。傷つくのだとしても、できるだけその傷を軽くしたいんだ。だめか。痛いのはいやなのは、だめか。俺が傷つきたくないせいで、誰かがその傷を引き受けることになるのだろうか。働きたくない。3ヶ月ほど休養を取りギリシャやドイツに行きたい。言葉なんてなくなればいいのに。今日も寝なくちゃいけないのか。うんざりするな。俺はもしかして真っ暗な宇宙で幻覚を見続けているだけのただの球体だったらどうする。真っ暗な天井を見つめているとそうやって脳のバグが具現化してくる。この種の恐怖に打ち克つものは、本当に家族的なものと宗教的なもの以外にはない、無は怖い、無は……無に帰すくらいならまだ暴力を浴びた方がましなのかな。幼い頃の失敗を、無意識に、でも意図的に何度も反復しているような気がする。自分の感情の推移を信じられない。不自然だと思う。違和感を覚える。誰かにそう思わされているような気がしてしまう。変なこと言うのやめたいし変な態度取るのもやめたい。これもずっと言ってるな。どうにもならん。