日報

もしくは遺書

10/12(金)曇り 誰だって自分を守りながら生きている

来月からここにいるよ杉浦というバンドマンのもとで、植木屋の助手をやることになった。ツイッターでバイトを募集しているのをたまたま見たので連絡した。
コンビニより明らかに心に優しそうだ。草や木や自然が相手の仕事。肉体労働だとしても構わない、怒りを殺してありがとうございましたとか言う仕事よりも、百倍健全だろう。平和に過ごせるのならそれが何よりだ。怒りって疲れるんだよな。蓄積された怒りが創作へのエネルギーに昇華されてる時もなくはないとは思うけど、それよりメーター振り切って何も感じなくなってダウンしてる時の方が圧倒的に多い。月に数回の草むしりとかの仕事で、ちょっとでも平和な時間が増えて感受性を取り戻せたら嬉しい。
今のコンビニやめたい、やめてやるって思うほど強烈なストレスを感じる出来事は定期的にあるけど、シフトの融通がききまくるのと、廃棄食べ放題なので、現実的なメリットを考えると捨てがたくなって、大学生とか全員やめてもズルズル居残っている。もう3年半くらいだ。年月で考えると死にたくなる。最近年下ばかりが増えている。もちろんこの仕事が好きなわけではないが、何年もいるだけあって信頼度が高いし、好きな人たちも何人かいるので、楽しいと思う日もある。
好きな人たちがいるのが何よりもいい。
好きな人たちのこと好きだし、多分自分じゃ気づけない何気ない部分でかなり助けられていると思う、だけどバイトやめたらもう会うこともないのかなと思うと寂しい。やっぱりバイトはバイトだから、ディズニーランド行ったり、家に呼んで鍋やったりする間柄じゃないから。飲み会とかも行かないし。まあごくありふれた当たり前の話だと思うけど、そうやって疎遠になった人が今まで何人もいて、不老不死の命を手に入れて友達とかがみんな寿命で死んでいくのを見ているしかない人、みたいな心境になる。何もかも懐かしい。
あとは、煽ってくる客に対して自分が耐えられなくなってついぶち切れてしまってやめさせられる機会を待ってるのかもしれない。それが俺にとって一番納得感あるやめ方な気がする。オーナー嫌いだからオーナーにぶち切れてもいい。妄想だけは得意だ。
そういえば聞いた話だけど、商品を持ってそのまま店を出るだけで、スマホのアプリかなんかに自動で登録されて値段ぶんが引き落とされるというシステムの、新しいタイプのコンビニが進出してくるらしいな。もうレジは必要ない。
俺が今のところ社会の役に立ってる部分レジの速さだけなのに、って思うと少しだけ残念な気持ちだ。この先俺が何の成功もせずにフラフラしたまま年を取ったとしても、この世にコンビニがある限り仕事には困らないと思ってたけど、レジ自体がなくなるということは、飢え死にする可能性が出てきたな。

最近、朝目覚めた時に最悪の気持ちで、午後になるにつれ徐々に立て直していくというサイクルで回ることが多い。モンスター飲んだ。
三浦さんがコーヒーマシンの部品ぶち落として、部品が壊れてコーヒー販売中止になったの、可哀想だった。かなりしょげていたので、休憩時間に「しょげないでよベイベー」の動画をラインで送ったけど、携帯見てなかった。(部品は本部に電話したら2時間くらいで新しいのが届いた)
今日もつまらないことをうじうじと考えていたと思う。けど、いつものように全部忘れた。
最近レディオヘッド聴くことが多い。特に、天気が悪い日はレディオヘッドを聴こう!という気持ちになりやすい。今まで何十回聴いたかわからないアルバムを、また。知ってる好きな曲ばかりを聴いて新しい音楽を聴こうという気になかなかならないので、いつまでも枠が広がらない。音楽やってるのに全然音楽に詳しくない。友達が音楽の話してる時大体右から左になる。多分音楽より小説とかの方が詳しい、あと宗教の話とか。10代終わり頃に聴いていた音楽を未だに聴いているけど、それでもまだ聴くたびに新たな発見があるのはすごいと思う。トムヨークの手腕でしょうか。
そういやこの前レディオヘッドの面白いネタを思いついてツイートしたけど、全然ウケなかった。面白くなかったみたいだ。

夕方頃精神的に安定してきた頃に、三浦さんにかなりキツめの言い方で言われた一言がスイッチとなって、硬直した世界に入った。あらゆる感情を拒否する態度で17時までバイトして、すぐ電車乗って帰った。誰とも会話しなかった。
スイッチ自体に意味はない。それは大したことじゃない。だけど、一瞬揺らいだ時に、すぐに元に戻れるか、そのままズブズブ沈んでいくかは、その日の体調や、直近の暮らしぶりとかで決まってくる。今日は何故かズブズブ沈んだ。知らないよ、自分がなんでそうなるかなんて、よくわからないよそれは。
久しぶりに神聖かまってちゃんとか聴いたな。いや、別に久しぶりでもないか。割と定期的に聴いてるか。定期的にこうなるので。もはや音楽的にどうこうとかはどうでもよく、母親の形見のハンカチみたいな存在になってきている。
憂鬱は防御だ。お布団。何もかもを諦めているときは、不思議と温かい。それは俺が今までの人生で培ってきた処世術であり、心の殻に対して絶大な信頼感を持っている。俺の意志とは別の部分で。
だって、殴られたり蹴られたりする時、うずくまって頭を守るでしょう。圧倒的な力の差がある場合は、一番痛くない体勢で固まるしかないでしょう。そんな自分を嫌いだとか惨めだとか思う意識すら、この殻で包んでしまう。もう良いとか悪いとかじゃない、それで生きれるならいいと思う。
そして、そこにいる限りは死に近づきながらも心の中は平穏なので、ずっとそこに留まっていたくなる。何回か平常時に戻れそうなタイミングがあったけど全部スルーした。
家に帰って、奈緒をほとんど無視するような形で、グレン・グールドゴールドベルグ変奏曲を聴く。木漏れ日が揺らめいているような美しさを感じた。俺はクズだと思う。罪悪感が芽生えかけるけど、それすら幼少期のバイアスに強烈に歪められていることをよく知っているから、疲れて心の力を手離す、とかいうことを考え出している俺はDVの素質ありそうな気がする。罪悪感という概念は難しい、深く考え出すと必ず母親の顔が浮かんでくる。
一つ言えることは、平常時との差が激しすぎかつスイッチがどこにあるかわからないので、周りにいる人は大変だと思う。そのせいで人と距離を取る癖がついてしまった。人に迷惑かけるのは辛いので。俺だって大変だよ。自分が本当は何を考えてるのか、とか頻繁にわからなくなるし。俺は自分のことしか考えてないのかなあ。

ヨシがレッドロブスターでご馳走してくれた。そのあと、スーパーで食材などを大量に買ってくれた。その間に精神状態はいくぶん回復した。というか、普通の会話を意識してやっていると、だんだんその通りになってくる。
ヨシは、不安になるくらい俺と奈緒に対して湯水のように金を使ってくれる。最初は、なんていうか、ほんとに怖かった。今はもうそういう気持ちは完全に麻痺して、ただ普通においしい思いをしている。でも、たまにふっと思い出したように、これどうなんだろうと思う。

家に帰ってツイッターを見ると、なんとだいごくんからDMが来ていた。
びっくりした。
しかもありえない要望が書いてあって、どうしようかと思った。
色んなことを思い出した。主に過去の自分の調子に乗っている恥ずかしい言動を思い出して嫌な気分になったけど、あの日々は今思えば青春だったのかもしれない。
ガレージバンドで一緒にノイズをつくったり、大音量で銀杏BOYZを流したり、酒飲みすぎて部屋で放尿したりしていた。
だいごくんに色んな音楽や映画を教えてもらった。
そういえばだいごくんのちんぽしゃぶったこともあるな。痛い過去でしかないけど。
色々と複雑な気持ちだ。返信は明日しようと思う。それなりに気合いを入れてちゃんと書こうと思う。
とにかく、だいごくんが生きていてよかったと思う。正直死んでてもおかしくないと思ってた。多分だいごくんが死のうって時に、俺は何もできないだろうから、こんなことを言うのはずるいと思うんだけど、だいごくんが生きていたということが嬉しかった。