日報

あるいは遺書

りゅう

10/26(金) 曇り・晴れ ミユという人の自伝を読んだだけの一日だった

ミユという人の自伝を読んだ。Twitterでたまたま回ってきた。
https://note.mu/michiemiyu/m/m65c055184679

ちょっとした息抜きにというくらいの気でいたのだが、滅多にお目にかかれない異常なほど引き込む文体で、読み始めると止まらなくなってしまった。今日やろうと思っていたことをすべて忘れ、6時間くらいかけてすべてを読んだ。
なんという文章力だろう。いや、こういうのを文章力と読んでいいのかどうかわからないけど、とにかく豊かな表現の機銃乱射だった。
彼女の表現力に、時には吹き出し、時には驚き、涙し、遊園地のアトラクションのように翻弄され、圧倒的な臨場感に手に汗握りながら、大いに盛り上がってしまった。出産のシーンとかヤバかった、俺男なのに、想像できてしまうほど。
そして、なんというか、俺の解釈のしすぎかもしれないんだけど、「人を楽しませなければいけない」という強迫観念に似た本気の思いが伝わってきて、その裏にある心の傷が透けて見えるようだった。
彼女の物語は、アダルトチルドレンの少女が自己を獲得していく物語でもあった。痛みを伴いながら。
もちろん一ヶ所にカテゴライズすることはできない。そこに描かれているのは、普遍的な出会いと別れであり、不条理であり、様々な偏りを持った登場人物たち。常に予測できない未来。人生としか言いようがない。

「あのゴールまでの間に、真っ白にならなくてはならないのだ。」
ミユ氏の生きざまを象徴していると思われる、印象的だったフレーズ。
勘違いだろうと、路頭に迷っていようと、何回挫折しようと、ただそこにある生を愚直なまでに全力で生きた日々、を愚直なまでに全力で書いた文章、だと思った。そして、超人的な努力によって己の限界を突破できたとしても、この世界の仕組みそれ自体に抗うことはできない。生きているということは、これほどまでに切ないことなのか、と思ってある種宗教的な気持ちになった。正直泣いたわ。何一つ思い通りにはならないのだとしても、その燃やし尽くすような命の使い方が、生命の本質を捉えるに至った。良いものを読んだ、と思った。

元々の資質だと思うけどとにかく生命力に溢れてるんだよなぁ、ナスDの動画見たときと同じ感じで元気を分け与えてもらった。
言葉選びのセンスとかめちゃくちゃな表現力も、この生命力の現れなのかなと思う。表現の泉が湧いている。超羨ましい。

俺はこんな読み方をしたけど、他にも色んな読み方ができるというか、そういった余白があると思った。論理的な思考ができる人、誰か評論とか解説書いてくれないかなぁ。ミユ氏が作家活動し始めるのも時間の問題だという気がするので、それを読める日も案外遠くないのかもしれない。

10/25(木)晴れ UFO CLUBでライブでした。中国のプログレジャズバンドと対バンしました。

朝起きて、まずコーヒーを淹れて、それを飲みながら30分間小説を音読する。そのあと10分間瞑想をする。そのあと朝日を浴びながら散歩。これだけで、とりあえず幸せになれる。良い出だしになる。
自分の人生の状況がどうであれ、それを一旦保留して、関係のないところで得られる幸せ。結局はそれが幸福の本質であるのかもしれない。幸福感は神経伝達物質でしかない。とりあえず、こんな習慣を続けられるような生活を送る余裕があるのは、幸運なことだと思う。朝起きた瞬間から寂しさや虚しさや死にたさに苛まれていたら、もしくはそもそも眠れていなかったら、とてもこんなことはやっていられないだろう。

注文した本が明日届く。

急に思い立って色々決めたソロの自主企画のフライヤーを、昼間ずっとつくっていた。Canvaというオンラインでデザインできるサイトを使っている。こういう作業したことないので結構手間取っている。フォントとかが多すぎて難しい。細かいところに異様にこだわってしまって、全然進まず。2時間かけてようやく背景が完成した。できれば明日中に終わらせたいです。

宣伝とか全くしてないし、このブログ誰も読んでいないと思ってたけど、読んでる人がいることが発覚してしまった。だからといって書く内容が変わるわけじゃない、というか書く内容が変わらないように気を付けたい。
引き続き個人名バンバン出しながら思ったことややったことを思い付いた順に無秩序にそのまま書いていくスタイルでいこうと思う。
アクセス数を見てみると他にも定期的に読んでくれている人が3人くらいはいそうな気配がしたので、もしいたとしたらありがとうございますと思った。何の実にもならない内容ばかりで、特に宣伝する目的もないので、自力でこのブログにたどり着いた人だけが通勤時間とかに暇潰しに読めばいいと思っている。

今日は屋根折りのライブだった。
ライブ前に喉を温める目的で一人でカラオケに行った。あまり喉に負担をかけない曲を選んで、過剰なまでに腹から出る空気を意識しながら歌った。誰とも空間を共有していないので、ついsyrup16gとかの暗い歌ばかり選曲してしまった。自分で入れといて、こんな曲ばっかかよと思った。
喉を温めるつもりが心まで温まって、情緒が溢れてきて、戦闘態勢に入ることができたので良かった。歌っていいなー。カラオケ大好き。俺はカラオケでもライブをしていると思う。
結果としても、ほんとのライブ始まった時に、ちょうどよくスタンバイされている感じで、歌い出しから真価を発揮できた気がするので、またやろうと思う。

受け手側に伝わる以前の完全に個人的な部分でしかないけど、ライブとは、自分がどういう態度で生きているか、その意思表明の場だ。そう思ってはりきった。個人的な思いこそが、結局は最も根本的なことで、客が何人いようが、いまいが、態度は一貫してないとだめだよな。

道を歩きながら、安田に、「俺の罪は、本当は痛い人間のくせに痛くない人間のふりをしていたことだと思う。これからは、過去がほぼ痛い記憶で構成されているという類い稀なる特性を活かして、頑張っていこうと思う。」という話をした。

道で坂本慎太郎を見た。高円寺で見かけたのは、一度や二度ではない。

UFOにマヒトゥ・ザ・ピーポーらしき後姿が入っていくところを見たけど、ちょっと目を離した隙にいなくなっていた。忠も見たと言っていたので本当にいたっぽいけど、一瞬で帰った。見ていってほしかったなぁ。

出番は4番手、トリ前。トリの中国から来たというRed Scarfもインストバンドだし、全体的に淡々と演奏自体の世界観を聴かせるタイプのバンドが多くて、屋根折りは演奏下手だし感情的なので少し気後れしたけど、出来ることしか出来ないので、精一杯頑張った。
暴れはしないけど攻撃的に、というコンセプトでやった。いつもなら囁き声のところを、甘くなり過ぎないように、多少強めに発音した。そういう日だと思ったので。たとえば凍る夜の大丈夫の部分にヤケクソ的な感情を込めたりして戦った。少なくとも自分で自分を盛り上げられたという点では成功だった。
前半2曲は歌っていてとてもいい感じだった。上昇気流の渦に乗って、ぐるぐるかき回されながらも、バランスを崩すことなく上手く昇っていけたと思う。最後のマンメイド・サテライトでもっと高く上がらなきゃいけなかったんだけど、急降下して地面に叩きつけられるほどではないが、高度が下がってしまった気がした。最終的に中くらいのライブになった。
前半に関しては、本当に「歌を歌う楽しみ」がダイレクトに感じられて、この感覚を味わうことが出来ただけでも、フリーターでお先真っ暗な中音楽を続けていて、多大なるストレスを抱えながらバンドなどというものを組んでいて、良かったのかなぁという、充足感があった。最悪全く誰にも理解されなかったとしても、これからの人生をできるだけ歌を歌うことに充てようと思えた。

動こうと思って動いてはいけないのだということを考えた。「こういうパフォーマンスをしよう」とあらかじめ頭が考えるのではなく、高揚によって生み出される自然の発露としての身体の動きを、暴走しないように、受け手側にとってより効果的な表現になるような形で、制御する、これが理想。今回は、それをしっかりとやれた気がした。何故なら、汗をかいたから。本当に楽しんで、無意識で動いた時だけ、汗が出る。
「派手な動きをしないと客が退屈するんじゃないか」という謎の強迫観念に襲われて要所々々で無理をしてしまう時が、最近は減ったけどたまにあって、そうなるともうダサいし楽しくもない。冷静に考えれば、そういうことではないということは、すぐにわかる。何よりもまず歌を聴かせなければいけないのだから。演奏が上手くいっていない時こそそうなってしまいがちだ、つい動きに逃げてしまう。カラオケになってしまうのが怖い、「棒立ちで歌う勇気」がなくなってしまうのだ。でも、本当に心を込めて歌えばカラオケになるわけはないよ。その勇気をまずしっかり持たないと、自然な健全な効果的な動きは出せない。ということに、今回ははっきり気付けたと思う。

音の強弱がそれぞれのメンバーでバラバラだということをケンさんに指摘された。バンド全体としての緩急。確かに!!と思った。バンドという形態で活動している以上根本的なことだし、結局はそこがグルーヴに通ずるとこだと思う、そして屋根折りは全員協調性がないので一番難しい部分。
メンバー全員の思い描いているビジョンは多分同じなんだけど、協調性がなく言葉が通じ合わないことで、そこに至るプロセスがずれまくっているというのが現状な気がする。たまにまぐれで息が合った時に、「あぁ、やっぱりそうだったんだ!」という感じで言葉を超えた一体感に気付いて感動することがあるので、これは本当だと思う。次回以降のスタジオでは、全体のまとまりをもっと意識して見ていこう。というか、楽器を持っていない俺が一番そこに気を遣わなきゃいけないんだよな。言うは易しだけど、俺は空気が読めないし人に伝わる言葉を喋れる時が少ないから、本当に辛いんだよ。
ケンさんは、温和だし面白いし、とても話しやすくて、その上的を射たことしか言わないので、かなり好きな人だ。何でも頷いて聞いてくれるので、ついつい余計なことを喋りすぎていないか心配になる。あとケンさんがPAの時はめちゃくちゃステージやりやすい。多分言わなくてもわかってくれていることがとても多い。

Red Scarfの通訳の人にたくさん褒めてもらった。見に来てくれた腐ってもみかんさんも楽しそうにしていたのでよかったと思う。

とにかく、ラストは決め損ねたとはいえ、今日は色々と実りがあったような気がする。ライブ終わった後に落ち込んだり放心したりせずに済んだ。自信がちょっと湧いて多少活発になれた。
さっき個人的な充足感について書いたけど、活動全体を俯瞰してみると、そもそも集客も宣伝も全然上手くいってないのでバンドとしては満足できるわけがない。このところ屋根折りにも自分の不甲斐なさにも絶望していたけど、今の屋根折りの活動の仕方はかなりもったいないんじゃないかという気持ちに久しぶりになったので、泣き言を言いながらも頑張っていこうと思う。
安田にお疲れ煙草一本貰って吸った。肺が痛くなった。

トリのRed Scarfは超かっこよかったぞ。演奏がめちゃくちゃ上手かった、生き生きとしたドラムだった。プログレとフリージャズの中間らへんのわけのわからない領域で、気を抜くとノイズバンドにもなりそうな危うさがあった。中国の長い笛みたいなやつが、違和感なく演奏に溶け込んでいて、面白いものを見た気持ちになった。ラッパ吹きながら唸り声出してたのが迫力あった。プラスチックのパックをくしゃくしゃやって音を出してた場面が可愛かった。
英単語とジェスチャーで話しかけようと思ってたけど、タイミングを逃して話せず。残念。中国のどこから来たのか気になった。

終演が1時間も押して23時頃、精算したりして電車乗って家帰る頃には1時を回っていた。奈緒がシチューのドリアをつくってくれていた。それを食べながら一緒にガンダムを観た。今日アルバイトで奈緒が二人ものクレーマーに怒られた話を聞いて腹が立った。
今日の出来事は是非記録しておきたいと思って帰りの電車で日記を書き始めたけど、全然終わらなくて、せっかく途中まで書いたので翌日に持ち越すことにした。ここまでの文章を書くのにトータルで2時間くらいかかっている。つらい。こんなのそうそういつも書けないよ。本当は寝る前の30分くらいにさっと書くだけの適当な日記にしたいんだけど、書きながらものすごく考え込んだりしてしまって、ほぼ30分で収まる日がない。
ずっと続けたら段取りよくできるようになるかなぁ。

10/23(火) 曇り キズナマン

風邪がつらい。
喉の症状は一日で治ったが、今日は鼻が完全にバグっている。
弱っているせいか、バイトをしながら自分という存在について止めどもなく考え込んだ。うわ言のように次から次へと言葉が湧いてくるので、とりあえずツイッターに書いた。

不意に思い出して、黒子のバスケ脅迫事件の意見陳述を読み返した。
異様に引き込まれる文体で、読み始めると止まらなくなり、最後まで読んだ。キズナマンとか浮遊霊とかいう言葉が頭から離れなくなってしまった。
ほとんど衝動的に「生ける屍の結末 黒子のバスケ脅迫事件の全真相」と「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」をアマゾンでポチった。
多分何年か前に読んだ時より深く考えるきっかけになった気がする。自分やこの国を覆っているものの正体が少しだけ見えた。
というか、自分の中で答えが出ている問いの、答え合わせをしている感じだった。もしくは、なんとか社会生活を送るために目をそむけた事柄を再確認させられた感じ。
独特のセンスかつキャッチーな言葉で丁寧に説明してくれるので、とてもわかりやすかった。
自分は、この人の文章に、少なくとも半分くらいは共感できてしまう。ひょっとしたらもっと多く。
どんなにたくさんの糸を繋いでも、常に視界にあり続ける空虚な穴の正体。
実際あらゆる糸が仮設の糸なような気がしてくる時がある。奈緒と別れて、音楽もやめたら、もう何するかわからない。何か飛躍したことをしそうだ。少なくともそういう性質を持ってるよな。
音楽は俺の中でほとんど唯一の強固な糸だ。より厳密に言えば、神聖かまってちゃんとか大森靖子から始まって、派生したものたち。誰に笑われようと、どう考えても本当にそうなんです。俺をこの世に繋ぎ止めて、安心を与えてくれた。こんな思いは、残念ながら家庭の中からは生まれなかった。
俺は必死で音楽やってるよ。だって頑張れることがこれしかないから。「音楽を頑張っている自分」がいなくなったらと思うと、怖くなる。結果が出ないので焦ってしまう。

今日は屋根折りの練習だった。
マンメイド・サテライトを歌いながら、こんな自分がこの曲を書けたのはほとんど奇跡だと思ってちょっと感動した。
屋根折りは演奏も下手だしとても良い音楽活動をしているとは言い難いけれど、曲だけは本当に自信を持ってる。俺は自分の曲が好きだ。