日報

あるいは遺書

りゅう

ゆっくりとそれを知る

 

あるいははっきりと

 

発狂するのは簡単

 

そんなものはもうすでに余分にある

 

電車が動く

 

都市が回転していく

 

雨の朝

 

萎んでは膨らみ繰り返す

 

愛する人の隣にいながら

 

どうしてこんなに孤独なのか考える

 

ドトールで時間を潰す

 

こんな風になりたくなかったのだろうか

 

周囲の人に遠慮して咳を我慢している

 

外で風がそよぐのが見える

 

温かい空気によって隔離されている

 

それは素晴らしいことだ

 

良いことだ

 

言葉は言葉のまま湯気になって消える

 

今からおしっこ漏らしたっていい

 

でも俺はまだその先を想像する余地があるから

 

それが余分なものであるという意識

 

何度も繰り返すのを嫌というほど見てきたと思う

 

でもそれは本当だろうか

 

俺は犬なのか

 

だとしたらその意味を考える必要もないのか

 

心臓がおかしい

 

思考が分断する

 

買い物して帰る