日報

あるいは遺書

りゅう

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命が身体の中で暴れている。クソが。白と黒しかないマジで。PCが明るすぎて眩しすぎる、電車に乗って海に行きたい、暖かくなったら。早く死なないと。もっと、いっぱい死なないとな。誰かになりたかった。ごめんねって言いたい、ただたださめざめと言いたい。全部丸ごとひっくるめて。そうだ、悪い癖だ、見てくれている人がいる、逃げ出したいと思う。どこに?逃げた先が旅、最果てを見てみたいと思う。頭いてー。その予感に従いたい。もっともっと軽くなって、弱くなって、風にびゅうっと煽られて、あとは丁寧に忘れるだけだ。透明な温かい涙。炎。それだけでもう言葉はいらなくなる、寂しくもなくなる。いっぱい喋るってことはそれは寂しいということだ。俺は今寂しいんだ、とてつもなく、死ぬほど。自分なんていなくなってしまえばいい。自分なんていう壁を壊してしまえばあとは溶け合って混ざり合うだけなのだから。傷つけるための身体がある。さようならとうわ言のように繰り返しています。受け取ってください、誰か受け取ってください。こういった想念も、もっと一つ一つ大切にできたらいいのにな、湧き出た瞬間からさらさらと流れ出してすぐに忘れてしまう。今何の話してたっけ。いつから寂しいんだったっけ。自分のことしか考えていないとよく言われる、それなら自分以外のことを考えてる奴はいるのか、ちゃんと目の前にあるものを、そこにあるまま、そのまま、認識していたい。そんなことは可能なのか。そしたらまた自分の中の迷宮だ、脳みその中の。いい加減飽きた、同じ風景ばかりが延々と何十年も続く、迷宮が、延々と何十年も続いていく。そうして年ばかり取ってどこにも進めずに、誰にも伝えるための言葉がない、だけども、そうしたことも全て、丸ごと受け取ってもらいたいし、受け止めてあげたいよ。誰かが、この自分に向けて、その球を投げるなら、俺はちゃんとしたい、一生懸命。ちゃんと出来たかどうか、後悔しかない。取れなかった球を、精一杯後悔するしかない、一生懸命。あああ。クソだ。でもありがとう。感謝しています。幻滅しないで。何がそんなに嫌なの?一人で生きていくしかない、誰といたって、いなかったって、基本的には変わらないのだろう。春がきて、夏がきて、そうやって。弱くなっていこう、柔らかくなっていこう、年を取るたびに俺は赤ちゃんに近づく、ばぶう。素直になれたらいいな。誰かのためじゃない、自分のためですらない。発作のように生きる。生まれたから生きる。もう一回、もう一回だけ投げてほしいと、いつまでも思い続ける、ずっと待っている、一回しかないのに。落ち着かないなぁ。光をつくって、壁に影を映して、遊んでるだけですよ。全部間違ってる、一回しかないのに。でも、一回しかないから何一つ間違いじゃない。寝たくない。もうどこにも帰りたくない。じゃあね、ばいばい、その瞬間だけを何度も何度も何度も。死ぬっていうのはようするに今よりもシンプルな存在になるっていうだけの話でしょう、生きると死ぬの違いがなくなるまで、いつまでかかる?そこから見たらどんな風に見えるんだろう、こんなちっぽけな苦悩も痛みも歌も、何かしら意味があるのかな、生きてる人には分からない意味が。届かない。届いてた時もあった気がするけど全部忘れた、もう全部忘れた、全部真っ白で、全部真っ赤だ、うるさい。手を当てるとどくんどくんと言う。これは正常なのか?自分以外の存在を恐れる必要なんて何もない。少し早い春の強い風に煽られて、枯れ葉が舞い上がる、そういうのを見るとますます帰りたくなくなる。今しか言えないことがあるんだ。それは誰の耳にも届かないのかもしれないけれど。胸の奥がじーんと痛む。うわあ。留まるよりは歩いていた方がまだ良い。9歳の自分へ、4歳の自分へ。自分のことばっかりで何が悪い!一つ一つ、太陽の欠片を集める。上る、上る。今更になって、愛されていたことを知って、また最初から、言葉を探し始める、言葉の必要ないところまで、浮かんでは沈むんだから。オルゴールのような声で。同じような傷があなたの中にもある、それを知っている。知っているだけじゃどうにもならんのよなぁ。うるせえ!書いては消す。頼りない。どんなに最低でも咲いている。死にたい気持ちも生きたい気持ちも全部本当、本当の嘘。ダニエルジョンストンのおすすめの曲教えてくださいってTwitterで言ったけど誰も教えてくれなかった。まだまだ書き足りないなぁ。信じたりしたいけど。優しい人になりたいけれど。どこにいる?