日報

もしくは遺書

10/17(水) 曇り 自意識おばけ

AT-4040が欲しいのでバイトしようと思い、虎ノ門の店舗で派遣入れた。2、3ヶ月ぶりくらいか。不安だったけど、細かなルールとか結構忘れてなかったので大丈夫だった。一回も問題を起こさずに済んだ。岩崎さんがいたので安心して働けた。岩崎さんは明るいから好きだ。性格が明るいというより、働き方が明るい。見てて元気が湧くし、頑張ろうという気になる。コンビニなんていう職種でそういう人は滅多にいないよな。
ただもう、覚悟してたけど、客多すぎて超へとへとになった。午後くらいから時の流れに鈍感になり始めて、本当に身体が半ば機械になってしまったような感じがした。レジしかやることがないとだんだん頭おかしくなってくる。中学生の頃鬱で日がなテトリスばかりしていた頃、同じような感覚を味わった気がする。エヴァンゲリオンを操縦する訓練をさせられるシンジくんも、多分こんな感じだったんだろうと思う。
今日はそれだけの日だった。帰ってきてから何もできずいきなり1時間くらい寝てしまった。その間に奈緒がご飯をつくってくれた。ミートソースパスタとカブのスープ。ご飯をスープにつけて食べると絶品だった。
俺の日々は現状ほぼコンビニの日々だから、日記を書くとなるとコンビニの話題が増えるのが嫌だ。家に帰ってまでコンビニのことを思い出したくない。抜け出したい。一発逆転ゲームしたくなってくる。

日記を更新していない間、人生に疲れて何もする気が起きなくなっていた期間が数日あった。寝て、起きて、バイトして、聴き慣れた音楽を何度も聴いて、使い古した絶望をいじくり回していた。生きるために風呂に入ったり歯を磨いたりしなければならないことがすごくめんどくさかった(責任がない分アルバイトよりめんどい)。
グルパリさんが歌詞で「十月病」とかいう言葉を使っていたけど、ちょうどそんな感じ、季節の風に当てられていたような気がする。
その期間のことは今もうすっかり忘れている、というかほとんど記憶に残ることがないので、あまり描写することができないけど、奈緒にも冷たくしてしまったような気がする。
気持ち的にはずっとあのままでいたかった。それはそうだ。何もせずにいれば、何にも期待なんて持っていなければ、不用意に傷つけられることもないし、人に迷惑をかけることも少なくなる。誰だってそう思うだろうし、子供の頃から調子に乗ることで人に迷惑をかけ続けてきた俺は、特にそう思う。落ち込んでいるときの自分が、一番安心していられる。
だけど、放っておくと、だんだん何かを感じたくなってくる。何か新しい体験がしたくなるし、人と話したくなる、面白いことも言いたくなる。気がつくと何か考え事に熱中していたり、これからの予定を組み立てたりしている。聴き慣れた音楽では退屈だと感じている。そうしてまた、いつの間にか早足で歩き出す。
すぐ落ち込む割に回復力はあるのか、それとも一つの気持ちが長続きしないだけか。落ち込んだりするのには理由があるときもあるし、ないときもある。元に戻るきっかけもそうだ。ただ、また近いうちに派手に転ぶだろうことははっきりしている。今までずっとそんなことの繰り返しだった。とにかく「自分」というものは制御ができない、できた試しがない。

活動的な自分には常に自己嫌悪がつきまとう。自分を監視している自分が必ずいる。明るい気持ちでいる時の方が、傲慢さが増している分怒りも湧きやすくなるし、後々自分の嫌な部分に気づくことになる。
そういったことも、多分無意識の部分で全部わかっているし、結局自分が正常だと感じている時は、一番ストレスが大きい。なので、鬱な時から活発な自分に戻れそうなタイミングが、一番うんざりした気持ちになる。
ところで、人間や動物のほとんどの行為は、何かから逃れ出ようとする動きなんじゃないかと思う。飢えから逃れるためには食べるしかないし、自分が食べられないためには、痛みや恐怖から逃れるためには戦うしかない。もっと複雑な行為も、どんな些末なことも、あらゆるものの原型がこれなんじゃないかと。どんなにわくわくすることでも。どんなに自由意思のように見えても。そうじゃないものがもしあるとすれば、すごく価値がありそうな気がするので誰か教えてほしい。

奈緒のことは、気分の高低差によってかなり振り回してしまっていると思う。それだけが心配だ。
一番近くにいる人ほど、気が回らなくなってしまう。緩くなってしまう。自分の一部のようになっているからだ。でもそれは勘違いだし、みなすべからくそれが原因で離れ離れになってしまう。
とにかく、経済力を差し引いたとしても、子供を持つのは当分無理だな、と思う。こんな状態ではとても。そんなこと言うのも今更だけど。