日報

あるいは遺書

りゅう

10/4(木)小雨 森達也好き

アルバイト8時から14時。全然身体に力が入らなくて最悪だった。会話も上手いこといかない。脳の言語を司る部分が脱力しているような。言葉が出てこないし、出す気にならない。嫌だった。何故だろう。天気悪いからかな。

アルバイト終わってから、森達也の新刊「虐殺のスイッチ」を買いに紀伊国屋書店に行った。同時に、中村文則の新刊も発見した。買った。
帰りの電車で虐殺のスイッチを読み始め、そのまま家に帰ってから、21時までかかって、最後まで読んだ。

森達也の筆致には、愛がある。論理を並べている時にも、根底には愛があって、それを行間からなんとなく感じ取る。人として当たり前のことに、優しく気付かされるような感覚。この感覚を覚えておけば、まともな自分にいつでも戻れる、という感覚。
「A」を観た時も同じことを思った。極限まで演出を排除して、ただ寡黙にそこにあるものだけを映し続ける、その視点に、何か柔らかなものを感じた。すべてを取り除いた果てに、最後に残った、人間的な何か。
だから好き。森達也大好き。現代を憂えるだけじゃなく、自分の体温を確認できたような気になれる。現実を直視するとすごく悲しい気持ちになるけど、でも、安心する。

読みながら書いたメモ。
「人は人を殺す。人は人に殺される。それが現実だ。
だから俺は、誰も殺したくないし、誰にも殺されたくない、と答える。俺の周りの人たちに、誰も殺してほしくないし、誰にも殺されてほしくない。」
当たり前のことだ。
この当たり前のことを、主観で思考しているということがこれ以上ないほどに大事。
何故なら、愛は主観でしかありえないから。
「ぼくは、君のことが好き。」
それ以外に好きの形なんてないんだよ。

読み終わって、倒れ込むように眠ってしまった。
アラームかけたはずだけど、奈緒に起こされた。
目覚めた時、本当に朝だと思った。早起きした奈緒が、目覚ましが鳴る前に起こしてくれたんだと思った。
違った。夜の11時で、奈緒はアルバイト終わって帰ってきたとこだ。ご飯つくろうと思ったのに、寝てしまった。かけていたアラームを消した記憶もない。疲れが溜まってたのかな。こういうのは結構落ち込む。時間を管理できない系はかなりパニクる。
食べに行くか、つくるか、で結構悩んで、結局簡単な炒め物をつくって食べた。
1時半くらいに寝た。明日も朝からバイト。